モーニングショー@新宿武蔵野館

tido2004-05-20

ソフィア・コッポラ監督、スカーレット・ヨハンソンビル・マーレイ主演の『ロスト・イン・トランスレーション』をようやく観る。新宿で新宿を(主に)舞台とした映画を観るのは妙な気分だった。
映画は終始悪くない感じだった。作り手の意向か、小さなスクリーンのせいか、描かれる東京の街は特別な虚飾のない等身大に近い姿をさらしているようで、まるで低予算のピンク映画で描かれるような風情だ。パークハイアットのバーも、渋谷だか赤坂だか知らないが夜の店やカラオケ店の戯れも、全て手持ちカメラで特別にライティングなどせずに撮られているだろう。
映画の中で持続する時間は淡々と刻まれ、その中で悩める2人の外国人の陰鬱な表情と、東京の街の流れる風景が緩やかに交錯していく感覚は何ともいえない怠惰な印象を与える。だからといって、つまらないわけではなく、むしろその怠惰な印象が心地良いのである。東京での時間に戸惑い、それを夫婦生活の行き詰まりと重ねつつ、やがて出会う2人は、眠れない夜に街の流れに身を委ねることで、自らの体内時計をリセットするかのようだ。
しかし、最後まで東京という街に2人の身体が馴染むことはない。特にビル・マーレイの身体はやはり街にとっては違和そのものである。小柄なスカーレット・ヨハンソンが渋谷で雑踏に紛れてゆくのを発見できるのは、彼が最後まで街に馴染まない存在だったからだろう。その後抱き合う2人の姿は、自分たちが自分たちの時間の内にあることを説得力をもって見せてくれるが、その後の別れに象徴されるものは、ソフィア・コッポラ自身の思いでもあるのだろう。
アメリカへの帰路にきっぱりと向かうビル・マーレイは振り向かず、その姿を振り返ってしまうスカーレット・ヨハンソンはリグレットを覚えつつも渋谷の雑踏へと紛れ込んでいくのだ。彼女の役柄は、哲学を学んだ大学を卒業したばかりの迷える「ひよっこ」であり、もはや後戻りのできない落ちぶれたハリウッド俳優とは違うのだ。はっきり言って個人的にはどちらにも感情移入できるはずもないが、風景に脅かされる危うい存在の推移を見つめる体験とでも言えるこの映画はまずまず良かったと思う。同系列ではギャロの『ブラウン・バニー』の方が断然良いが…。