空間の映画

アイデンティティー』で気になっていたジェームズ・マンゴールドが監督・脚本を努めた『ニューヨークの恋人』をDVDで観た。メグ・ライアン主演のロマンティック・ラブ・コメディ。
これは実によくできた映画だった。昔はLDを買うほどメグ・ライアンにはまっていたけど、『フレンチ・キス』以来あまり主演作をチェックしていないのに気づいた。その後は『戦火の勇気』と『イン・ザ・カット』しか観ていない。しかし、この『ニューヨークの恋人』や以前の作品のスタッフを見ると、メグが組んだ監督はここ最近活躍している監督が多いという事実に気づく。『ラスト・サムライ』のエドワード・ズウィック、『コール』のルイス・マンドーキなどなど。ちょうどDVDの特典映像でもメグがインタビューでいろいろ答えていた。彼女には作品そのものよりも監督との関係で生み出されるものが重要なのかもしれない。『デブラ・ウィンガーを探して』は早々観なければならない。
ニューヨークの恋人』では「空間」ということが重視されている。もちろん「時間」が主題になる物語ではあるが、映画としては「空間」への配慮が大きいはずだ。それはヒュー・ジャックマンの扮する公爵と現代のキャリア・ウーマンであるメグ・ライアンが時間を超越して同じ空間で出会い、別れ、そして結ばれるということだけに限らず、物語の舞台としてもっとも頻繁に登場するアパートの空間のあり方、そしてさらに視野を広げれば、メグ・ライアンが劇中で「この島から出て行ったことがない」と語るニューヨークそのものにも関係してくることなのだ。
場面場面で効果的に大掛かりなセットを用いた撮影がなされていることや(特典映像でも見られる)、いかにも流行の店での上司とのいやらしいディナーとアパートの屋上での印象的なディナーとのコントラスト、そしてCM撮影のセット。それらすべてが空間的にこの映画を雄弁にしているのである。何より、そういった空間的なモチーフ群を生かすカメラワークやカッティングが素晴らしい。
しかしながら、ジャームズ・マンゴールドは『アイデンティティー』であった。それを考えると『ニューヨークの恋人』との間に溝があるように感じられる。ざっと考えると、いくつか共通するモチーフは見出せるが、頭の中で整理できない部分も多い。何にせよ『コップランド』とかも観ていないのだから、いろいろ考えるのはまたその内にしておこう。