秋の夜の死兆星

tido2004-09-04

ホールに現れてから約1年遅れでこれほどはまってしまうとは…恐るべし「北斗の拳」。未だラオウを天にかえすことのできないぼくは文字通り湯水の如く、汗水垂らして溜めた金を放出している。攻略本とか白夜書房から出ている漫画『北斗の拳・攻略づくし』とか読んでいてよく見かけるネタで、他の機種でせっかく大当たりを引いていても「北斗」が空くとそちらに移り、負け続けようが喜びと共に打ち続けるというのがあるが、まさにそんな感じではまってしまう。恐ろしい…。
先日、別冊宝島から出た『80年代ガキ大全』と『日本テロ事件史』を買って読んでいたのだが、90年代ではなく80年代の小学生期に「北斗」体験を刻印されたものは、おそらくその無意識ゆえにここまで呪縛されてしまっているのだろう。先月帰省した時には、地元の腐れ縁の友達など、地元では稀で就職しているというのに(昨年人が死んだ精錬工場ではあるが…)パチスロ北斗の拳」で1日に11万円すったことを嬉しそうに語っていた。ラオウを天にかえして「愛をとりもどせ!!」を聴くまでは…。本気で攻略するため、液晶演出等の徹底した暗記が毎夜続く。
もっとも、ここ最近の過剰なギャンブル熱に拍車をかけたのは、今年頭から溜めていた貯金を一気に使ったことにも関係する。というのは、先日念願のデジタルビデオカメラを買ったからだ。今までは5年以上前に買ったハンディカメラと中古の8mm、あるいは専門学校時代に借りるVX-2000とかだったが、これでようやく機材の心配をすることなく映像を撮れるようになった。機種はCANONのXV-2。バッテリー等と併せて30万円少々思いきって叩いた。音声系に優れている。ちょうど使っていたVictorのハンディカメラも故障してしまい、こちらも1万5千円ほどで修理に出している。もうちょっとでせっかく撮った映像を台なしにしてしまうようなトラブルが起こりそうだったので、苦渋の末の選択である。以前にもこのカメラで撮影した映画のための素材がぐちゃぐちゃになってしまい、仙台のソニーの工場(テープはソニー製だったのだ)に送って修復して貰ったことがあった。もちろん金がかかった。そんなことにうんざりして、人から頼まれるビデオ撮影のたびにびくびくするのはもうやめよう…そう思い、汗と涙の30万を…。そうは言っても「北斗」の星が味方してくれる…という寸法だったが、実際に現れたのは死兆星ばかりだ!
少し話を戻そう。先日久しぶりに撮影したのはとある人物のHPに載せるPR映像だった。高校時代の友人を介して唐突に頼まれた。『デカレンジャー』に出演しているその人はぼくより少し年下だったけど、友情に厚くはきはきしたイケメンで好感がもてたし、ぼくなんかの意見の下に、本当に短い時間の中でまずまずの撮影ができたと思う。しかも、その「ロケ隊」はぼくの他は彼の昔からの友人たちであり、機材や技術はないにせよ、本当に打ち解けた感じのHPにはちょうど良い雰囲気の映像に仕上がったと思う。とても貴重な邂逅に感謝。それをきっかけに、ぼく自身ちゃんと映画を撮ることに身をいれようと決心した。とはいえ、いつも決心ばかりで目の前のバイトやら煩わしい大学関係の事柄に始終振り回されてばかりなのだ。このメビウスの環は断ち切らねばならない。そう『IZO』のように…。
最近この日記を更新していないので、映画を観るのもおろそかになっていたが、三池崇史の『IZO』には何とも言えない衝撃を受けた。あまりにその感覚を引きずってしまったために何も書けなくなってしまうたぐいの衝撃だったので、あの映画についてはとにかく観るべきだとしか言えないが、その体験が貴重なものになるのは確かだろう。わざわざイメージフォーラムまで足を運んだ甲斐があったというものだ。『IZO』を観に行ったばかりに、たまたまその日しか都合が合わなかったアップリンクの『痴漢ドワーフ』の上映に運悪く間に合わなかったが、イメージフォーラムアップリンクの最短距離全力疾走が無駄になったのも許せるほどの得がたい映画体験だった。この前の勝新『折れた杖』に匹敵する、自分の身体から切り離すことができないような闇の体験だった。