シンポジウム「世界を活写するための映像表現」

毎回だいたい足を運んできたウェイツによるThat's Japanのシンポジウムに行ってきた。ちょうど飯田橋で電車を降りた頃、豪雨に見舞われてずぶ濡れになってしまい、途中で徒歩を諦めて会場までタクシーで。雨で開始は遅れるだろうと思っていたが、それとは違う理由で宮台真司が遅れたため、本題には間に合った。
松田政男森達也宮台真司らが前半で取りあげたのはマイケル・ムーア華氏911』について。詳しくは書かないが、政治的な観点(宮台)、ドキュメンタリー表現からの観点(森)、映画-政治的な観点(松田)から三者ともに『華氏911』批判を繰り広げていてた。後半は、60-70年代のドキュメンタリーやゴダールの映画などをふまえつつ、このシリーズ「サブカル『真』論」では馴染み深い宮台のサブカルにおける時間意識を問題にして、または左翼の「転向」を取りあげながら、これからの可能性を探るというものだった。
森達也の発言にはなるほどなぁ…と個人的に感心するものが多かった。それはドキュメンタリーとフィクションという二元論を信じていないからであり、宮台とは少し違った意味でロマン主義者であるからかもしれない。
帰宅してDVDで『I am Sam』を観た。監督のジェシー・ネルソンは女性であり、明らかに女性映画だった。ジェーン・カンピオンイン・ザ・カット』と同じ意味で女性映画なのである。世界を皮膚感覚で描写しようとしているとでも言えるようなカメラワーク/アングル、徹底して意図された色彩設計。さらにミシェル・ファイファーの存在。ショーン・ペンの演じるサムはまさに『イン・ザ・カット』におけるメグ・ライアンのような絶えず揺らぎ続ける存在であり、劇場で観た予告のイメージは鮮やかに裏切られることとなった。『デブラ・ウィンガーを探して』を筆頭に、こうした女性映画はひとつのジャンルとして輝くだろう。90年代以降爆発した疑似ドキュメンタリーとの手法における類似点が見られないわけではないが、こうした女性映画の優れたものにおいては、安易な水準は超えて、ひとつの達成を感じさせるまでになりつつあると思えるし、今後の展開にさらなる期待をしてみたいと思った。