『マトリックス』を超えよ!

今日という日が素晴らしかったのは何も「北斗」だけに限らない。レイトショーで観た映画『バイオハザード2 アポカリプス』。これは傑作だった。原題は"RESIDENT EVIL"*1ではあったが、まさしくゲーム『バイオハザード』シリーズの要素を反映した映画である。しかしながら、この映画の素晴らしさはゲームへの忠実度にはまったくない。確かにシエンナ・ギロリー演じるジルには萌える…それはさておき、ゲーム版と比べれば、映画は前作同様に構図やカットが甘く下手くそに思え、恐怖(あるいはショック)の演出は圧倒的に弱い。テンポは良いと言えるが、『ドーン・オブ・ザ・デッド』同様にこざかしいエフェクトやめまぐるしすぎて何が映っているのか判別しがたいアクション場面にはうんざりしてしまう。(スロットによって動体視力が強化されつつあっても、やはり的確とは言えない描写なのだ。)
では何がこの映画を輝かせているのか。それは「システムとの葛藤」である。前半部分でそれほどでもないこのせめぎ合いは後半でその自己運動を加速させ、強度を限りなく高めてゆく。そのすごさは『マトリックス』シリーズなんか目じゃない!あの弛緩したザイオンでの戦闘に比べると、『バイオハザード2』におけるネメシスとの戦闘がどれほど優れているか。全部が全部誉められるわけじゃないが、ある瞬間では表現の強度が炸裂するのだ。例えば、ミラ・ジョヴォヴィッチとネメシスが(阿部和重が看破したように)「酒場の格闘」さながらの肉弾戦をした後の場面で、アンブレラ社の手先とジョヴォヴィッチたちが大がかりな戦闘を繰り広げる時、彼女の身体は映像技術そのものと強くせめぎ合っている。その葛藤は、まるでアンブレラ社というシステム、あるいはT-ウィルスと彼女の戦いのように見える。かつては「ジャンヌ・ダルク」であったこともある彼女の苦悶は、前半でサイボーグ的であった近年のハリウッド的女性戦士(日本の戦闘美少女と区別して…)の殻をうち破ってあふれ出てくるかのようなものであり、演技という概念を越境しようとする戦いであるとも受け取れる。それは優れた映画における人物に見られるプレゼンスの強さとは多少異なっていて、やはりハリウッドで戦う「女性」の証なのだろう。シエンナ・ギロリーの演じるジル・バレンタインにさえも少しはそれが感じられた。
そういう観点からは、この映画は『デブラ・ウィンガーを探して』以降の映画だと言えるかもしれない。あのドキュメンタリーに出ていたのは40代の女優が中心だったが、30歳を間近にしたミラ・ジョヴォヴィッチシエンナ・ギロリーにはこの映画には直接関係しない彼女らの可能性を刻印が見て取れる。ぼくにとってロザンナ・アークェットによる『デブラ・ウィンガーを探して』は映画を観る目をある部分で変えてしまうほどの作品だった。もっとも、DVDでそれを観る前に、劇場で『イン・ザ・カット』を観てしまったことも大きかったかもしれない。ともかく、『バイオハザード2』の強度はそんなところにこそ感知することができる。次回作が完結となるのかどうかは分からないが、このシリーズは『マトリックス』なんぞを明らかに凌駕している!少なくともその強度において。前作で監督していたポール・W・S・アンダーソンは今回『エイリアンVSプレデター』の監督作業のため、脚本と製作に回っているが、なかなかの曲者である。『2』の監督となったアレクサンダー・ウィットは今回が監督デビューらしいが、その経歴を見てみるとどうやらアクション系の演出に特化してきたようで、本作の素晴らしさの多くはどちらかといえばポール・W・S・アンダーソンにあるようだ。彼らよりも当然、ミラ・ジョヴォヴィッチシエンナ・ギロリーを讃えるべきである。

*1:はてなのキーワードにある通り海外版での『バイオハザード』の名称だった。それとは知らず、改変されたのかと勘違いしてしまった。それにしても映画版の前作はちょっと前だったような気がするが、思ったよりブランクがあって驚いた。