久しぶりに戻ってきました

前回の日付を見ると半年前…
とにかく長かった。約1年ほどの間、はてなという存在が自分の中で大きかっただけに。単に日記を更新してないだけでなくて、半年の間はログインさえしなかったのだから。こうなってしまった主な原因は3つ。

  • ギャンブル(スロット)
  • 卒論
  • 今後の身の振り方の決断

以上である。
まあ、遠ざかったら遠ざかったで、ウェブというものは敷居が高いものなのかもしれないとも思う。そういえば、卒論以外の目的で家のパソコンに触ることさえ極端に少なくなっていた。卒論に割いた時間はごくわずかだったから、主な原因は残りの2つになるわけだ。

スロットにはとにかくハマってしまった。この年までやらなかったのを後悔したと同時に、やらなくてよかったとも思った。もし高校時代にハマっていたら、学校も行かずスロ屋に入り浸っていただろう。実際、ぼくの弟は実家(岡山)で今もパチスロの収入で衣食住以外の必要をすべて賄っているプチ・スロプロであるし、父親は昔からパチンコ好きで、幼い頃は毎週のように休日はパチ屋に連れていかれた記憶がある。しかしそうはいっても、今現在のスロット生活に至ったのには大きな飛躍があったし、数ヶ月間は開店から閉店までの13時間、メダル換金の飲み物以外何も口にせず一心不乱に打ち込んでいたのだが、そうなることが想像できただろうか。最初はとにかく北斗だった。スロットではなく、北斗にハマっている。そう思っていた。そしてそれなりに収入もプラスだった。等価交換かつ優良店の多い板橋区のいくつかの近所のホールで週に1〜2回は設定6らしき挙動の台を打つことができたし、10日に1回はラオウを昇天させもした。

転機は1月にやってきた。1月某日、ぼくはとあるホールで毎朝8時50分に行なっている入場抽選に並んでいた。抽選番号1〜3ぐらいまでは毎回イベント時に設定6をプレゼントしている抽選だった。その日ぼくは大学の試験を11時頃に予定していたので、まあ、運良く6を引けたら彼女でも呼んで代打ちしてもらおうかな…と漠然と考えていた。

そして、こういう時にはなぜか起こってしまうのだ。引いた番号は1番だった。興奮して寝てた彼女にすぐしたくするよう電話し、10時の開店と同時にぼくは北斗の設定6を彼女に委ねた。経験上、それまでぼくが打った北斗の設定6は一日5000枚=10万円以上の稼ぎを吐き出してくれていたので、確定6を打てるのだから生涯初の万枚も夢じゃないと…ロシア語の試験中も上の空だった。

急いで戻った北斗の台。おっ、と彼女の姿を確認すると同時にまだドル箱が使われておらず、台上のG数が800ほどのハマリを表示しているのも目に入った。しかし、6だってそんなこともある。ぼくは午後1時すぎ、彼女と代わって打ち始めた。だらだらと途中経過を書くのはやめよう。その日の6はぼくの財布から7万円を絞り取ったのだった。勝率90%を超える設定6の残り10%に当たっただけと考えればさほど特筆すべきことではないかもしれないが、抽選で1番という幸運、それまでの6のイメージからの落差はあまりに大きすぎた。ここから転落がやってきて、今年1月は計37万円をスロットのみで失うはめになった。借金しなかったのがせめてもの救いだった。しかし、一ヶ月のバイトがただ働き同然と考えてしまうとやり切れなくて、本当に死にたくなる思いだった。誰とも会いたくなかった。このままギャンブルと共に地を這いつくばる人生を送るのか…という気分だった。

しかし、確かこの時にパチスロカイジ」がホールに登場したのだが、それを機に数年ぶりに原作の『カイジ』を読み返していたぼくは、その時の精神状態がまさにギャンブルのビギナーの典型であることを自覚した。それは利根川カイジがEカードで対決する場面、まさに利根川が言った言葉に象徴されていた状態だった。ビギナーはすぐに結果を決めつけたくなる。不安な状態に耐えられないのだ。確率がわずか数%でもあれば、それは決して「皆無」ではない。当たり前のことだが、例えば理論上0.01%を切るようなことが連続してやって来た時、そのありえなさに我を忘れ、それまで保ってきた理論的な立ち回りを崩落させてしまう、というのは自分自身何度も経験あるし、傍目にそう見える人間はいくらでも見かけてきた。

吉宗で「松解除」が連発しようものならそれは興奮の渦に巻き込まれ、我を忘れるし、北斗で単発が8連続ほどすれば怒りを超えて放心してしまう。しかし、長く打ち込んでいるとそんなこと確率が収束すれば簡単に起こってしまう。ギャンブルに手を出した者なら誰しも経験する。それを「流れ」と呼ぼうが「神の意志」と呼ぼうが人の勝手だ。そこで思考を停止するか否かが問題なのだ。

そして、『カイジ』によって我を取り戻したぼくは、2月後半から吉宗を機軸とする立ち回りで調子を上げ始めた。2月も前半までこっぴどくやられていてわずかな貯金も底をつき始めていた。が、後半からの好調でプラスにもっていき、結局プラス9万。3月。大学はぎりぎりで卒業が確定したところ、スロットの調子が…、、、、、プラス80万。それだけじゃなかった。

ぼくは就職活動をいっさいやらなかった。選ばなければすぐに決まると安易に考えていたからだった。でも、実際卒業が決まると今までのバイトがだらだら続きそうな雰囲気になってきたので、映像関係の仕事の面接をひとつ受けたが不採用、続けて英語関係の出版社の面接を受けた。当日は、面接の後にMacを使ったイラストレーター&フォトショップの試験があって、これが見事なぐらいできなかった。プレミアぐらいしか使ってないのだから当たり前だけど。その後に「最近面白いと思ったこと」をアピールする作文があったが、もう落ちたと思ったのでやぶれかぶれに、スロットというギャンブルからぼくがいかに影響を受け、人生を変化させられたかをぶちまけ、さっそうと会社を後にしたのだった。ところが2週間後スロットを打っていたら、いきなり採用の電話。まったく…

そういう次第で今は週6で10〜18時で働く身となり、ろくに映画も観に行けないが、この会社に入ってから気づいたことに、大好きなメグ・ライアンとのゆかりが少なからずあったというのには感激した。分かる人にはすぐ分かると思うけど、この会社はメグ・ライアンを起用した某教材を作っていたりするところで、以前はオーソン・ウェルズをナレーターにしたあの教材(実はぼくもやっていたことがあった)を作っていて、今も会員はたくさんいる。ぼくは、その中の5人しかいない編集部で働いているわけだ。会報誌をまるまるひとりでやらせてもらっているので、けっこう好きなことができて楽しくもあり、締め切りが月1なので、はてなやったりエロサイト見たりし放題である。忙しい時は忙しいけど、大手出版社のような鬼のような忙しさとはほど遠く、残業は皆無だし、社長以外の人から何か指図されることはない。慣れたら会社帰りに1本映画観て帰るぐらいの気力は維持できそうな気がする。

しかし、こうして深夜にだらだら私事を書き綴っているのはホテルの事務室。さんざんこき使われたホテルのバイトは3月いっぱい=今日までなのだ。しかも最後の最後までこのホテルはやってくれる。長期宿泊中のアジア系外国人団体の波状攻撃とそれに対する経営者側の不備のせいで、板ばさみになったバイトとして、今日なんかひたすらこき使われ、ホテルの裏のアパートに住んでいる現マネージャーに電話すると「もう寝るから、ホテル側ではどうすることもできませんって言っといて」のみ。ホテル側の不備だから説明しても納得するはずないのに、708円の時給で労働させやがって! それも今宵でおしまい。最後にレジの金を盗むようなことはしないが、本当にこの1年半は嫌なバイトだった。

4月からは、再びはてなライフが始まる。