ホラー映画のまなざし

tido2005-04-29

特に何を観ようと決めないまま、数時間の暇を埋めるために歌舞伎町の映画館地帯に行った。韓流映画特集のチケットはほぼ完売だったし、時間的な都合もあって、比較的空いてそうな映画を観ようと思った。『コックリさん』は予告編を見た時から興味をもっていたのでちょうどよかった。前にブライアン・ヘルゲランドの『悪霊喰』を上映していた新宿ジョイシネマ。この映画館のセレクトはなかなかいい。ちょうど今度上映することになっている待望の『ミリオンダラー・ベイビー』の予告編をやっていて、今から待ち遠しい気分が膨れ上がる。

  • コックリさん(監督:アン・ビョンギ)

あろうことかアン・ビョンギの『友引忌』『ボイス』はまだ見ていないのだが、『コックリさん』を見て、この監督がどういった路線のホラー映画を狙っているのかはうかがえた。簡単にいえば『呪怨』路線である。もしかしたらダイレクトに影響を受けているのかもしれない。
呪怨』の場合は一家の怨念であるが、『コックリさん』はある特種な母娘の怨念である。また、『呪怨』はひとつの家にまつわる怨念であるが、『コックリさん』はひとつの村にまつわる怨念である。ただし、タイトルの「コックリさん」は韓国では「ブンシンサバ」と呼ばれるものらしく、ほとんど日本で流行ったものと変わらないのだが、この映画では導入部分で使われるだけで、ほとんど物語に関係してこない。例えば、「ブンシンサバ」の方法をめぐって探偵小説めいた展開があるというわけではない。単なるきっかけに過ぎない。だから、このタイトルはあまり適当ではないだろう。
ちょっと前に観た韓国ホラー『狐怪談』は閉鎖的な土地での女学校を舞台にした話だったが、『コックリさん』の中心となるのも女学校であった。閉鎖的で陰鬱な感じが漂う色彩の映像も似ていて、細かい部分では異なるが、韓国のホラー映画観に通底する何ものかをそこに感じてしまう。日本ではホラー映画といえば、美形のアイドルが出演するのが相場だろうが、この手の韓国ホラーは確かに美形の少女が出演しているものの、アイドルと言えるようなタイプではなく、ちょっと癖のある顔のタイプが多いようだ。表情のアップの連鎖はそれゆえに何か異質な雰囲気を生じさせる。
そういった文脈で、この映画の「まなざし」を考えてみると面白いかもしれない。転校生であり、クラスの大半の女たちからいじめに遭っているヒロインのユジン役を演じるイ・セウンは、非常に眼の大きな女性である。彼女が脅えや怒りのために大きく眼を見開く様は、いじめっ子たちがネタにしたように、今にも目玉が飛び出してきそうなほどである。それでいて、彼女は「コックリさん」のルールを最初に破ったがゆえに、霊に取り憑かれてしまうのだけど、放心状態で催眠によって(黒沢清の『CURE』を意識したのだろうか?)他殺する時、その大きな眼は何も見ていないようである。この逆説が伏線となっていて、後々、30年前の母子の怨念を再現していると分かるのである。見えない眼。見えていて何も見ていない眼。母娘の一体化したまなざし。30年の時を越え、怨念によって媒介されるまなざし。そしてラストカットの新たな予兆をはらむ子供のまなざし。とにかくフェティッシュなまでに「眼」や「まなざし」が印象的に立ち現れてくる、というのがこの映画のひとつの見所であるだろう。視線劇として優れているというわけではないのだが、このようなこだわりがこの映画を何か異様なものとして作り上げていることに、ぼくは興味を抱いた。