イタチごっこ

tido2005-04-30

いつの間にやら「天外3」をあっさりやめてしまい、何に夢中かといえば「かまいたちの夜2」。「我が竜を見よ」も悪くないのだが、毎日仕事があると、どうしても手軽にできるゲームになびいてしまう。システムが複雑だと、面白いなぁ……と思いながらも、まとまった時間がある時に一気にやろうとして放置するはめになる。
ユリイカ」のブログ特集を読んで、「街」や「かまいたちの夜2」みたいなものをブログと関連させてみる可能性はないだろうかと想像するが、具体的には何も思いつかない。説明書を読んでみると、どうやら主人公とヒロインのデートモードみたいなのがあるらしく、2つのコントローラーを用いて同時プレイができるらしいが、もしかしてそこにとても画期的なものがあるのではないかと思ったけど、実際どうなのかはやってみてからにしよう。
しかし、ゲームにおいては昔からそうだけど、「はい/いいえ」を代表に選択肢がたびたび用意されていて、次第にゲームの容量が拡大するに連れて、選択肢の自由度も高まってきているようだ。しかし、いつも思うことだけど、選択肢が2つあれば2つ、3つあれば3つ、結局のところシラミ潰しにやっていくことになる。面倒になってやめてしまう場合は別として、そのゲームへの情熱が失せない内は、デバッカーでもないのにあらゆるゲーム展開の可能性を試してみたくなってしまう。マルチエンディングのゲームなど、時間に余裕のあるほとんどの人がそうなのではないか。そうすると、そもそも自由度を上げ、プレイヤーの意志決定に重さを与えるということ自体が意味をなくしてしまうように思える。結局は有限数の選択肢に幅ができただけで、やっていることは「はい/いいえ」の頃とさして変わらないのではないか。
だから、ぼくは違った方向への欲望を覚える。つまり、決定的な選択肢。決してやり直しのきかない選択肢だ。ひとつの決定をくだすたびに、他の可能性はあったけど、もう決してその可能性の先を知ることはできないというもの。これはギャンブルに似てくる。ぼくがスロットで覚えた興奮、それこそ今のゲームに足りないものである。例えば、大人気の吉宗Sというスロットの機種に、ボーナスゲーム中の「俵8連」というのがある。これは、ボーナスゲーム8G消化時、3つあるスロットの停止ボタンを左から押すか、右から押す*1かで揃う役が「俵」or「リプレイ」に2分の1で振り分けられ、運良く「俵」が8ゲーム中8連続で揃えば、ボーナス後にもうひとつビッグボーナスが追加されるというものである。この機種の場合、ひとつのビッグボーナスは711枚獲得でき、等価交換の店なら14220円分となる。それにボーナスが追加されれば、またそのボーナス中にチャンスがめぐってくるわけだ。
これを選択肢として考えれば2つの最もシンプルな選択肢が8つあるだけだが、それだけでおよそ1万5千円という、普通のアルバイトの日給としてはかなり高額であろう金が手に入れられるのだ。多くのゲームの選択肢に重みがないのは、当然のことながらほとんど何もかかっていないからだ。強いて言えば、ゲームにかける時間というコストぐらいだろう。
金を理不尽な理由で失うということは、慣れるまでかなり精神的な負担になる。ぼくは当初、スロットで1日5万負けただけで、絶望的な気分に陥ってしまったものだ。しかし、だからこそ次は絶対に勝たねばならないという思いにより、情報収集やデータ分析に熱意を持つことができた。
そういえば桝田省治のゲーム「リンダキューブ」に、主人公がある選択を迫られる場面がある。その時、画面に表示される選択肢は10以上あるのだが、それらはすべて「YES」だった。本質的にはゲームとはそういうことなのではないだろうか。「かまいたちの夜2」をやっていると、選択肢によって、確かに物語の展開自体が大きく変わったりして面白いのだけど、それは有限数の選択肢を消化していくうちにやがて頭打ちになるだろう。まあ、ユーザー、プレイヤーとしてはまだいい。けれど、どんどん容量や技術が発達していくに連れて、有限数をさらに拡大して、無限の自由度を体感させるようなゲームをつくろうとすると、膨大な開発費と日数がかかってしまってメーカーや開発者は大変だし、それを待つあいだにゲームシーン自体が変化するだろうし、待っているぼくたちもゲームから遠ざかってしまったり興味を失ったりするかもしれない。
だから、有限であることの幅を広げる方向性よりも有限であることを徹底することが必要なのではないだろうか。そういえば、件の「ユリイカ」でも、ブログの可能性について、有限性の意識みたいなものに触れているものがいくつか目についた。いろいろなことができるからといって試すのはよいが、目的意識もなくだらだらとやっていたらしまりのないものになるだろうし、アクセス数アップに熱中すればするほど、無限のハマリが待っていたり、自由な時間のみならず大切な時間までもブログに侵食されてしまったりする。自ら時間なり方法なり制限を課し、何らかの目的意識をもっておく*2ことは、大切なことだと思う。
これは何より自分自身に自覚させたいことである。

*1:真ん中押しは右押しと同じように処理される。

*2:それでいて、途中で目的が変わったりするのは良いと思う。