ネットコミュニケーション技術

仕事で担当している会報誌への投稿を吟味していて思うのだが、大部分が中・高女子のアニメや漫画のイラスト投稿であるうち、それらとは異なり、誌面の雰囲気にそぐわない投稿をする人たちがいる。その人たちは2種に明確に分かれる。60歳以上の孤独な老人タイプと少女たちと同世代の少年たちである。少女たちはお互いのイラストに「ファンコール」し合って、まるでブログのトラックバックのような浅いつながりを形式的に楽しんでいるようだけど、老人と少年はそういった雰囲気から逸脱したペンフレンド(メル友)募集の投稿をしていて、もちろん彼らに返事がいくことはない。少女たちの趣向を凝らしたペンネームに比べて、老人も少年も本名か、あるいは本名を片仮名書きしただけのものをさらしている様は妙に痛々しい。
彼らに必要なのはおそらく空気を読むことなのであるが、言い換えればそれはある種の技術だと思う。斎藤環もひきこもりの人がネットをすることついて、車の運転に喩えて何か書いていたのを記憶している。たぶん、そういった教材に付いてくるマイナーな会報誌に切実な投稿をしてくるほどなのだから、彼らは余程つながりに飢えていると思えるのに、その試みは傍目にも場違いでしかない。いや、これはぼく自身も無縁ではない問題だ。
先日紹介を受けてミクシィを始めたけれど、以前キヌガサに紹介されてほとんど放置気味にしてしまっていることもあってSNSには馴染めない感が否めなかった。自分勝手に書き散らすことがさほど不自然ではないはてなダイアリーと比べると、ミクシィなどはマイミク登録数の圧力がのしかかってきてどうも振る舞いづらい。しかしながら、やっていく内に馴染んでくるもので、コミュニティを利用したりする段階にようやくなり始めている。最初に検索をかけるなどして様々な人のページを観察することを通して、少しずつ振る舞い方がうかがい知れるからであろう。学習の後に実践。これは何においても同じことだろう。文通、メル友、出会い系……それぞれに多少異なる振る舞いがあり、さらにその内部で細分化している。新しいメディアに怖気づくことなく、学習と実践をやることが必要である。