記憶の中の1970年代

tido2005-05-10

今朝キヨスクに仰々しく「三島自決からあさま山荘事件まで」と書かれた紙が貼ってあるのを目にして、その特集を組んだ「文藝春秋」を買ってしまった。様々な人の当時の証言である。特に目新しくはないが、具体的な証言というか当時のエピソードが綴られている。
今年は寺山修司生誕70周年ということもあるし、ちょっと前には北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」』が反省史として70年代、とりわけ連合赤軍事件を起点として現代のシニシズムを論じている。こうして何度も70年代が参照されるということは、やはり大澤真幸などが指摘していたように、ある時代の終わりがオウム事件の95年にも反復されており、似たような時代の流れになっている(ように感じられる)からなのだろう。当時の人たちが三島自決や連合赤軍に回帰するになぞらえると、ぼくたちはやがて酒鬼薔薇やオウムに回帰するようになるのだろうか。しかし、現在の方は何かが終ったというより未だに緩慢に終わりが引き伸ばされているように思えるのだが。
70年代の映画は、修羅の道や冥府魔道といった「砂漠」を死人のように生きるという、現実には不可能だった北田暁大の言う「ゾンビ」を具現するものだったと思う。考えてみれば、ぼくたちの日常は温いものではあるけど、希望のない生を希望をもって生きろという不可能性を要求されているように思える。何をするにも行動意欲がそがれるような状況が蔓延していて、それは必ずしも個人の問題ではない場合がある。というより、本来そういった状況を心のうちでは社会のせいや他人のせいにしてもよいはずなのに、自分や親のせいにしてしまうしかない精神構造が広まっているのではないか。そういう人に働けとか意欲や希望をもてというのは、まさに「ゾンビ」であることを要求した連合赤軍の不可能性に近いような気がする。
塩田明彦の『カナリア』のように70年代の「地獄旅」をモチーフにした映画は、それゆえに感動的なのだろう。オウムを思わせる宗教団体の幹部である母親は「ワーク」による解脱を志すが、それは不可能であった。しかし、現代の砂漠を生きねばならない子供たちは解脱によらない変化を遂げる。あの映画が説得的なのは、一方で少年が70年代的にひとつの意識を先鋭化させ、純化させながらも、そういった観念が安易に観念の外部に突き抜けるというのではなく、様々な現実に触れながらただそれらを認識するという過程があるからだろう。少女が梶芽衣子のように修羅となったかに見えるが、実際は少年のために演じているだけであった。シリーズ中どれだったか忘れたけど、梶芽衣子の『野良猫ロック』にもそういった真に修羅でない姿があった。
何もまとまったことが書けないが、単に70年代を振り返って「反省」することより、やらなくてはならないことがあるはずである。卒論でも「ロシア思想の観念」についてそういうことをやったのだが、結局『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ・カラマーゾフの生き様、観念(イワン・カラマーゾフ)の世界を知りつつ、愚かではあるが愛すべき現実に生きるというすべに落とし込む、みたいな話になってしまってどうもすっきりしなかった。ボグダーノフのような奇抜な天才についてちゃんと考えてみることも必要だったのに、終ってみるとずっと忘れてしまったままだった。しかし、これはこの先も考えていくべき問題には違いない。