「黒い霧」再び

tido2005-07-21

10時に出社しなければいけないのに起きたら9時50分。シャワーを浴びながら言い訳を考えた。おはようございます、コンタクトレンズが破れてしまったので眼科に寄ってから行きます、昼までには出社できると思います、と電話して、コンタクトレンズは実際には破れてなかったけど、本当に眼科に行くことにした。待合室で『風の谷のナウシカ』のビデオを見て検診を受けてコンタクトレンズを買った。ついでに東武の文房具コーナーで在宅バイト用の万年筆のインクを買う。久々の東武はフロアの大幅な配置替えをしていた。文房具コーナー目の前に本屋があったので立ち寄る。すると衝撃的な本が新刊で登場していた。今朝の寝坊は必然だったのだ。

下山事件―最後の証言

下山事件―最後の証言

森達也の『下山事件』から約1年半。それを継いで「最後の証言」と名打たれた本が登場した。序章を読んでさらに衝撃を覚えた。引用の前に少し補足しておくと、森達也の『下山事件』、そしてその1年ほど前に森達也を欺く形で出版された朝日の記者、諸永裕司による『葬られた夏 追跡下山事件』では、「彼」とだけ表記された人物の証言を元に事件の真相へと迫っていた。それは裏返せば「彼」の証言が虚妄だとすると何も成立しないという危うさを示していることになる。その事実を受けて新しい『下山事件』の筆者は述べる。

 なぜそう断言できるのか。もちろん、確固たる理由がある。なぜなら一連の報道の中の「彼」とは、実は「私」なのである。つまり「彼」の証言はもとより、「彼」の大叔母の証言、「彼」の母の証言、さらに「Y氏」のインタビューの内容を正確に知る者は、「私」しか存在しないのだ。「私」の職業はジャーナリストである。その「私」が、なぜいままで下山事件について語らなかったのか。その理由は「私」をはじめ「私」の祖父、大叔母、母親などの血族が、ある意味で下山事件の当事者であったからに他ならない。
 だが、いま、「私」は語るべき時が訪れたことを知り、心を固めた。以下に書くことは、「私」が知り得る限りの、我が血族と下山事件に関する真実である。

まだ本書の冒頭を読んだだけなので内容について触れることはできないが、下山事件が再びこの時期に浮上してくることに何か考えさせられるのは確かである。戦後の社会の「黒い霧」は今もなお日本を覆い続けている。その根深い隠蔽意識は三菱ふそうやJRの事件にかかわる問題やアスベストの問題などとまったく無縁とはいえないだろう。だからこそ常に意識を尖らせておく必要はある。
http://d.hatena.ne.jp/tido/searchdiary?word=%b2%bc%bb%b3%bb%f6%b7%ef
隠蔽意識は忘却とセットになっている。日本人的な「健忘症」が敗戦あるいは戦後の闇と共に形成されたものであることも自覚しなければならない。「ゆがんだ戦後社会をひきずった現代の田舎町の風景」を描いた傑作、阿部和重の『シンセミア』のように、ゆがみやねじれは常に現代に浮上してくるのだ。
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/searchdiary?word=%2a%5b%be%bc%cf%c2%bb%cb%5d
id:gotanda6さんの関連記事にリンク。今年は下山事件から56年目。個人的に、この8月は自主映画のために帰省する。田舎の風景に露呈する何ものかをカメラにおさめることができれば幸いである。