何かが足りない

当然、初日に観に行ったわけだが……
金も時間も人材もかけてつくれば、それだけクオリティの高いものはできるだろうが、単にクオリティの高いだけの北斗を求める人がいるのだろうか? 別にオリジナル原理主義でもないし、「パチスロ北斗の拳」には自分でも予想外にハマってしまったし、むしろ新しくつくられることに心躍ったけど、この新シリーズ1作目を観ている間中、ぼくはずっと目の前の新しい北斗の名場面を見ながらテレビアニメ版なり漫画なりを思い出していた。シュウの死様に感動しつつ、もう何度も見て頭に焼き付いたテレビアニメのイメージを反芻していた。
ラオウ伝』のオリジナルエピソードが加わったことはあるが、基本的にストーリーの流れはほとんど原作というかテレビアニメ版と同じである。しかし、1本の映画にしているためなのか、あまりによどみない展開になっていて、それが不満のひとつだった。なぜならそのためにカットされているシーンがいくつもあり、しかもその中のいくつかは重要なシーンに思えたからだ。
例えば、シュウの死の後、サウザーが聖帝十字陵を上っている時に子供のひとりがシュウ様の仇とばかりにサウザーの足に刃物を刺し、サウザーが愛は人を狂わせるみたいなことを言うシーン。お師さんとのエピソードを省くのは仕方がないにしても、ラオウの愛をクローズアップする上でサウザーの愛もちゃんと描き、対照させた方が良かったように思えて仕方がない。ケンシロウサウザーにトキの有情拳を放つ必然性も薄れてしまうというものだ。復活したケンシロウサウザーを倒すまでのあの畳み掛けこそ期待しているのに、妙に淡々と描かれていて、クオリティの高いアニメーションで原作の物語を再現している程度にしか受け取れなかったのは残念だった。
ぼくの隣ではおばさん2人が観ていたし、全体的にもけっこうばらつきがある客層だったから、板橋の映画館という条件からしてパチンコ&スロットから北斗を知った人も多いだろう。だからこそ、『ラオウ伝』にあっても端折る場面をもっと考慮してほしかった。
声優にそれほど不満はない。阿部寛なんか期待以上に良かった。でもやっぱりラオウの声は宇梶剛士じゃ物足りない。あの尋常じゃなくでかい身体から発される声は内海賢二のような尋常ならざる声でないと。もともとのテレビアニメにほとばしる迫力がすごかっただけに、他のリメイクに比べて新しい北斗へのハードルは相当高い。