「敵語」を克服する

アゴタ・クリストフの自伝『文盲』を読んだ。高3の時に友達が『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』を何の前触れもなく貸してくれて、はまった。鮮烈な読書体験だった。そんな作家の自伝なのだから期待してしまう。しかし、この自伝はとても寡黙だ。明らかに、欲求を満たしてくれない。けれども、それはアゴタ・クリストフらしくもある。彼女にとって「読むこと/書くこと」はほとんど「生きること」と同じである。望まない言語を学ばなければ生きられなかった。言葉に対するあまりに真摯な姿勢。それは彼女にとって当然のこと。自分の好きな言語を積極的に学べるという環境で接する「言葉」とは全く違う。その決定的な差異を見つめるならば、この自伝や彼女の小説の寡黙さがとてつもなく饒舌なものとなるだろう。