時間のうねる町

池袋新文芸座にて。平日最終回で時間も15分ほど押したというのにほぼ満席だった。
まずロケーションの素晴らしさにいきなり惹かれる。薄暗い中を牛乳配達する田中裕子の足音、息づかい。その繊細な感じを包み込むかのようなささやかなBGM。そこにあるものすべてが調和している。雰囲気はちょっと違うかもしれないが、まるでオタール・イオセリアーニの映画のようである。行き届いた演出がつくりだす調和。そのような場には奇跡も起こる。牛乳配達する田中裕子を追いかける猫はそういった偶然の産物のひとつだった。
それにしても素晴らしい。傑作としか言いようがない。なぜ今までこの映画を観なかったのだろう。どの場面にも愛着がわいてしまう。たとえ、その辺の田舎にあるようなスーパーの場面でさえ。それぞれの人物の描き方も良い。死に瀕した仁科亜季子は美しかったし、上田耕一演じる元英文学者の痴呆が進行してゆく様は悲劇でもありえたが、それを当人の視点から不思議な世界としてユーモラスに撮っているのが面白い。あれは新鮮だった。かといって単に面白おかしくしているわけではなく、妻の視点からもとらえているし、余興的エピソードではなく、群像劇のひとつとして比重が置かれている。
そして、この映画では言葉や声にも配慮が行き届いているのが伝わってくる。冒頭の作文、過去の回想、田中裕子がラジオ番組に送る孤独な愛のハガキ、死と共に託した仁科亜季子からの手紙、渡辺美佐子がパソコンで綴る物語……それらが時間と空間にうねりを生み出す。「かつて」と「いつか」が交錯する味わい豊かな町で温かい孤独が描かれる。みんなが孤独である。どの孤独も一様ではない。そして、孤独への向き合い方も一様ではない。そこで確かなのは、それらすべての孤独が愛されるべきものであることだろう。そのように思わせる『いつか読書する日』という映画は本当に素晴らしい。
開始時間も押していたために23時も迫ろうかという時に終幕。ロビーでは黒い服に身を包んだ緒方明監督がぞろぞろと帰ってゆく観客を温かく見つめていた。財布にろくに金がなかったが、素晴らしいシナリオが収録されたパンフレットを買わずに帰るなどできなかった。