すべてはゲイに!

tido2006-04-18

予告編で見たキュートでセクシーなユマ・サーマンを目当てに行ったのだが、予想外に面白かった。冒頭からして、過剰なくだらなさ全開である。しかも芝居としてじっくり見せる。「ライナスの毛布」のパロディなども、単発アイディアとして終わらず、各人物を描くモチーフとしてうまく用いている。もともと『プロデューサーズ』は映画になっているけど、芝居をじっくり見せる映画はどうも空間の広がりにかけて息苦しい感じがすることが多い。演劇畑の人の演出によるものだと余計にそう感じられることがある。しかし、本作で監督/振付を担当しているスーザン・ストローマンの演出はそういった息苦しさを感じさせない。
ミュージカルシーンも良い。最初のミュージカルシーンはネイサン・レインマシュー・ブロデリックが室内から屋外へ、そしてタクシーに乗り、公園へという広がりが楽しめる。タクシーのシーンでスクリーンプロセスをやっているのも良い味を出している。そしてすぐさまオフィスでのミュージカルシーンにつながっていくわけだが、ここでマシュー・ブロデリック演じる臆病な会計士の夢想が舞台を現前させ、派手なミュージカルシーンに発展してゆく。この映画では、その夢想ミュージカルシーンとブロードウェイでの「春の日のヒトラー」の上演シーンを除けば、そこまで派手な演出が施されていない。これが他のミュージカルシーンとの対比になっている。派手なミュージカルシーンは物語を完全に停滞させがちである。例えば最近では『シカゴ』がそうだった。キャサリン・ゼタ=ジョーンズの過剰さとか最初は面白いのだけど、映画が進むに連れ、物語が過度に停滞させられてしまうようで退屈きわまりなかった。本作のちょっとチープな感じもする通常のミュージカルシーンでは物語は完全には停滞しない。緩やかに人物の関係などが描かれ、その関係が変化する。だから映画のラストにあるような立て続けの強引なミュージカルシーン連発にも退屈しないのだ。
そして何より強調しておかなければならないのは、この映画のメッセージである。映画中盤にゲイの館で何度も発せられる台詞「すべてはゲイに!」だ。これは「ゲイ=楽しさ」という意味でもかけられた言葉であるが、ミュージカルのあるべき姿でもあるだろう。意図された失敗作「春の日のヒトラー」。ウィル・フェレルが演じるアドルフ・"エリザベス"・ヒトラーを愛する脚本家とのシーンがあまりにくだらなさすぎて面白い。そんな彼が書いたベタにヒトラーを賛美したミュージカルがちょっとした事故が起こり、急遽変更を余儀なくされるのだが、そのシーンは本当に素晴らしい。一瞬で「空気」が変質する感動的なシーンになっている。
映画に「END」の文字が出て、クレジットが流れ始めても、席を立ってはいけない。最後にメル・ブルックスが華をそえる。あまりに楽しい時間。ちょっとでも引き延ばしたいと思う観客の心理をちゃんとフォローしてくれる。昔の映画にあったような娯楽精神のつまった傑作と言えるだろう。ユマ・サーマンがキュートでセクシーでたまらなかったということは最後にもう一度強調しておかねばならない。