犬小屋に扉はない

tido2006-04-21

上映時に見逃してしまったのでDVDにて。
主人公(ココリコ田中)がセラピードッグとして訓練していた犬=タムラ。ひとりの衰弱した老人は犬をタムラサンと呼んで可愛がっていた。その老人の死を不意に聞かされる田中は、感謝の気持ちと同時に重いものを受け止める。そこからの展開が特に目を見張るものがある。そこまでの淡々とした心地良い展開が、突如重く停滞する。末期がんの母と身体の悪い祖母を思い実家で暮らすことにした姉(りょう)とそのひきこもりの妹(藤田陽子)の生々しいぶつかり合い。偏った視点ではなく、両者を拮抗した存在として撮っている。この長めのシーンに続く展開も素晴らしい。タムラを媒介して再生する家族。掘り起こされる暖かい記憶。タムラとかつての飼い犬タロが時間を媒介してつながり、入り口が開きっぱなしの犬小屋が、ひきこもりの妹の部屋とつながる。姉と感情的につながりながらも決して開くことのなかったあの扉はすでに開かれている。
音楽が入ってくるタイミング、PUFFY吉村由美ラーメンズ片桐仁あたりのキャスティングも絶妙。篠崎誠の『浅草キッドの「浅草キッド」』も観なければ。そういえば以前通っていた映画学校で篠崎誠が特別講義に来たことがあり、上映を交えながら演出の興味深い話を聞かせてもらったけど、あの時は篠崎映画を未見だったのでもったいなかった。それに、バイト等に過剰なほど明け暮れていたために疲労もあり、常に授業中は半覚醒状態だったので実習以外の記憶はあやふやである。それでも、『犬と歩けば』でも描かれたように、犬を媒介して記憶が解き放たれるかのごとく、この映画によって以前の講義の内容もわずかに思い出されたのだった。