死人のカンカン踊り

死をネタに感動に導こうとする昨今の風潮に嫌気がさしていたところに痛快な映画が登場した。冒頭から最後までたっぷり笑わせてくれる。新作映画では『少林サッカー』以来に劇場が湧いた。昔の喜劇映画などでは場内大爆笑ということは多々あるが、新作ではめずらしいことだろう。
「寝ずの番」で次から次へとエピソードが展開されるという語り口は面白く、登場人物と一緒に身を乗り出して様々なエピソードに聞き耳を立てるという感じが心地良い。冒頭の「そそ」のエピソードの前に「伝言ゲーム」のような仕草をする場面があり、そこにこの映画のエッセンスがすべて詰まっていると思った。人から伝えられたことを人へ伝えるということは、情報や感情を伝えるという目的もあるが、それよりもただ伝えるという身振りが伝えられることに注目しなければならない。伝えることそれ自体が何かを伝えるのである。冒頭の「伝言ゲーム」(実際は悲しい知らせを伝えているのだが、なぜかちょっと笑えてしまう)の場面はそれを的確に示しているように思えた。
酒の飲み過ぎで常にゲリ気味、なおかつ洩してしまうというのは中島らもチチ松村がやっていたラジオ番組「らもチチ」でもよく聞いたエピソードだし、マリファナなどのエピソードも然りである。そんなエピソードを聞いて土曜深夜にあった「らもチチ」の様々な話を思い出していた。下の話で埋め尽くされる本作を監督するマキノ雅彦。演出はなかなか良い。「死人のカンカン踊り」で立たされた師匠の亡骸(長門裕之)が死後硬直でそのまま立ちっぱなしになっているのに驚いたその妻(富司純子)は失神して倒れてしまうのだが、それを見て慌てた弟子たちが亡骸をほったらかしにしてしまい、妻と同じく倒れてしまうという場面など引きの構図できっちり見せてくれる。ラストの猥褻歌合戦も最高だった。
そして『ニュー・ワールド』。美しい自然の揺らぎの中で人間たちの揺らぎもとらえた良作だと思う。特にジェームズ・ホーナーの音楽が素晴らしい。大作ハリウッド映画の大部分は音楽を鬱陶しく感じることが多い。この映画では音楽が素晴らしく、画面や台詞も音楽のようである。揺らぎなのだ。しかし、テレンス・マリックの映画の中ではそれほど良いとは思わなかった。ほとんど自然光で撮影されたという『ニュー・ワールド』でもマジックアワーの空がちょっとだけ撮られているけど、やっぱり『地獄の逃避行』や『天国の日々』の方が好きだな……