銃弾の行方

tido2006-05-25

ビデオにて。
まだ20歳ぐらいのシャーリーズ・セロンのヌードを目当てに観たようなものだが、なかなか面白くて好感が持てる映画である。ある種の「脚本系」の物語。多様な別々の人物の話が平行線上で進み、やがて交錯するという構造だ。物語の運びは自然に流れていて巧い。ただし、そんなにテンションが高くなく、緩いテンポで進む。そういった点がガイ・リッチー系とは違う。ずいぶん前に1度観たきりなので間違ってるかもしれないけど、ノリは『トゥルー・ロマンス』みたいな感じだろうか。ともかく、脚本の比重が高い映画である。ジョン・ハーツフェルドは監督もやっているから、比重がどうとかはあまり関係ないかもしれないが。
ともかく、個人的にはガイ・リッチー系じゃないがゆえに好ましく思えた。発砲されることが延々と引き延ばされ、ようやく放たれた銃弾があのように使われるということは、単にきっちり物語が巧く語られるということだけでなく、良い意味での変化が描かれたのだと思う。そして、ひとりの悲観的な人物の変化が、詰めが甘く負け続けて来た人物の変化にもつながるというのも良い。
ラストはちょっと時代を感じさせた。オリンピックの女選手が最後に乗る車には「目指せ!長野オリンピック」と書かれていた。この映画の懐かしさは、ぼくが岡山にいた時にずっとビデオで観ていた映画たちのものだった。かつてはこういった気分を感じさせる映画が多かったということだろうか。『イーオン・フラックス』にはがっかりさせられたが、本作ではイーオンのコスチュームを彷彿とさせる衣装を身にまとい、そればかりか小ぶりかつ形の良い乳房まで披露するシャーリーズ・セロンが見られる。デビュー作などでヌードを披露し、後々売れてからお宝的に発掘されてしまうパターンはよくあるけど、この映画に限ってはお宝場面に限らず、シャーリーズ・セロンの存在感は印象づけられたし、その死様も素晴らしかった。