地方(痴呆)医療の困難

母としばし電話した。父が胃潰瘍で大量の血を吐き、つい数日前から入院したらしいのだが、それがようやく落ち着いて来たという話である。その話の流れで、母が働く地元の病院の話を聞いた。その病院は故郷岡山のとある小さな山のふもとにあり、祖母が長い間入院しているのでぼくもこれまで何度も行っているけど、本当に人気も少ないし寂れたところである。事実上、老人ホームに近いというか、入院患者は9割9分が寝たきりの老人であり、そのうちのかなりの割合が重度の痴呆である。つまり、家族から疎んじられた者の死に場所となっているわけだ。そんな病院の悲惨なエピソードをたまに母から聞いたりするのだが、今日聞いたのはどうやら小泉政治の煽りを食らうのも結局はこういう病院だという話である。
高齢者が増え、病院利用者が増え、国の医療費負担は莫大になる。そのため、個人の医療費負担の割合を増やすという政策に加え、小泉政治がやったのは国家の医療費も削減するという方策である。だから、この寂れた病院に配分される医療費もまもなく7割ぐらいになるらしい。ただでさえ、ほとんどの勤務者が時間外労働をボランティアでやっているという現状であり、文句を言う前に、病院自体がそれじゃないとやっていけないし、小さな田舎の共同体のひとつでもあるのでお互いに協力してやっているということだが、それがこの先もやっていけるかどうかという割と深刻な話だった。
ついでに訊いてみたけど、この病院では患者の虐待はないそうだ。婦長がとても厳しい人でそういうことがおきないようにかなり注意しているらしい。しかし、現実はさらに厳しい。母の話によると、痴呆老人やアルツハイマーの高齢者はしばしばとても凶暴で、触られるだけでつめを立てたり引っ掻いたりするのは日常茶飯事らしく、母も眼鏡のフレームを2回壊され、自腹で直したことがあるそうだ。それ以来、凶暴な患者の時は眼鏡を外すようになったらしい。そんな状況だから、特に孤立したところにある老人ホームなどでは虐待は程度の差こそあれやはり存在するらしい。看護婦に復帰する前に老人ホームで働いていた母はけっこうそういう問題を間近に見て来ていて、当時はぼくもぼやきを聞かされていたような気がする。