関係性から距離感へ

tido2006-06-16

新宿K's cinemaにて。
絲山秋子著『イッツ・オンリー・トーク』の映画化である。絲山秋子の小説は好きだし、この原作にはざっと目を通しているけど、やはり『ヴァイブレータ』同様、荒井晴彦の脚本は映画的にかなりアレンジしている。細部は同じだし、雰囲気もより瑞々しく伝わってくるが、映画のラストの閉じ方などは作り手の気分が投影されているように思える。『シナリオ』7月号の加藤正人による荒井晴彦インタビューでもその辺の話は出て来るし、目を通していないが『映画芸術』辺りも触れているだろう。
そして監督・廣木隆一に女優・寺島しのぶ。もう2〜3年前になる東京国際映画祭で観た『ヴァイブレータ』は素晴らしかったし、女性を主人公にした廣木隆一の映画は傑作続きである。『やわらかい生活』はというと、どうやら当初は他の女優が出るはずだったようだ。『シナリオ』7月号のインタビューを引用しておこう。

荒井 そもそもは、ある女優さんが廣木とやりたいと言ってきて、何やろうかって話に森重、廣木、僕の間でなって、僕は大道珠貴の『しょっぱいドライブ』をやろうと。これはオジイさんと30代の女が同棲しちゃうという話なんだけど、そしたらその女優さんが、もうそういう話はやったんで、いやだと。じゃあどうしようか……。
加藤 今なにかと話題の女優さん(笑)。
荒井 (笑)じゃあ、絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』という文学界新人賞の小説はどうと。女優さんもそれならということで、書いたんですけどね。
加藤 で、結局、その某女優さんは……。
荒井 シナリオ読んだら、これじゃ私はできませんと。もうかなり準備していて、ドタキャンにちかい。で、プロデューサーが慌てて違う女優さん、有名な2人の所に行ったけど断られて、もう流れたかな……みたいに思ったら、寺島しのぶからケータイにメールが来て、「感動しました。私やりたい」っていう……。
加藤 僕もそのメール、見たような気がします(笑)。
荒井 それで「頼むよ、寺島しかいないよ、俺のシナリオ分かるの」って打ち返して。それで夏の話だったんだけど、彼女のスケジュールで11月に撮ろうということに。

映画には冒頭から引き込まれてしまう。猥雑さを帯びた蒲田という街の空間、そこで浮遊するひとりの女性(寺島しのぶ)。その日常の描写とふとしたきっかけから彼女に接近する男たちとの「距離感」。これを眺めているだけで心地良い時間は過ぎて行く。ドタ靴のような分厚い靴を履いた(部屋の中でも分厚い靴下を履いている)女とどこか欠損を抱えたような男たち。女は躁鬱病を抱えているけど、男たちもそれぞれ何かを抱えている。そんな彼らが存在するのは中間的な空間としての蒲田なのだ。タイヤ恐竜、力道山の石像、競馬場、昔ながらの銭湯、屋上の遊園地、場末の映画館、緑の象、金魚屋、屋台の居酒屋、縁日の出店……それらすべての場所がこの映画のタイトルである「やわらかさ」と共にある。
そんな場所において、廣木隆一がプログラムのインタビューでも述べているように、関係性よりも距離感に焦点があてられている。複雑な距離だ。ありえないような関係性も、少し滑稽で少し哀愁を帯びつつ、その場所では人と人との距離としてリアルに息づく。生真面目な痴漢(田口トモロヲ)、精神を病んだヤクザ(妻夫木聡)、政治家を目指すEDの元同級生(松岡俊介)、そしてマザコンかつ妻と別居しているが心優しいいとこ(豊川悦司)。特に映画化において焦点を絞られた、この豊川悦司寺島しのぶの距離の描き方はとりわけ素晴らしいものになっている。寺島しのぶ鬱状態に陥った時にひたすら寄り添う存在となる豊川悦司の姿には心打たれる。『ヴァイブレータ』の演技も繊細だったし、役柄に憑依してしまう寺島しのぶは実際に病院に運び込まれるほどだったらしいけど、豊川悦司に見られる微細な揺らぎも魅力的である。2人の密室的な状況を描く最後の方のワンシーンにおいて、ずっとそれぞれの表情のアップで寄り添っていたカメラ(距離といえば、カメラと役者の距離も重要である)がふっと2人の全身を映し出すショットになった時の気持ち良さ。深刻な場面であるが、このショットが次の流れを何よりも説得的に予告する。
黒と赤の金魚に名付けられたのは「うどん」と「そば」。原作にもある。これは「姫」と「殿」の関係でもある。姫が黒く太いうどんで、殿が赤く細いそば。この対応が面白い。後のシーンで金魚屋のおじさんは言う。「黒がメスで赤がオス」。ぴったりだった。ちょっと戻って、その金魚を名付けるシーンの後、豊川悦司はつぶやくのだった。
「むかしむかし……あるところにうどんという名前の金魚とそばという名前の金魚がいました。二匹はそれとなくしあわせに暮らしました。めでたしめでたし」
映画の結末もそんなふうに、めでたしめでたし……と閉じられるわけではない。哀しい結末。みんないなくなってゆく……。ただし、銭湯のシーンが最後の最後にあることで緩和されている。幽霊の声で「姫!」と聴こえてくる辺り、絲山秋子芥川賞受賞作『沖で待つ』を思い出させた。蒲田の街の些細な音声、そして監督の友人らしいnidoの音楽も良かった。素晴らしい映画である。客が2割ほどしかいなかったのが意外だった。昨日の『LOVEHOTELS』みたいな映画とは比べものにならないぐらい豊かな映画的体験ができるのに……。