渋谷ラブホ街にて

猫目小僧』を観ようと渋谷に出てきたのが15時半。道玄坂のコンサートホール(パチンコ&スロット店)を覗いて16時半からの映画にそろそろ向かおうと、百軒店のラブホ街の坂道を歩いていた。突き当たりの曲り道、ぼくの目の前の若者が右側のラブホに入っていった。女と待ち合わせでもしてるのだろうかと思って、道を曲ると、20代後半と思われるきれいな女が「ねぇー」と言ってきて、さっきの男性に話しかけてるのかと思って後ろを振り向くと姿はない。周りにはぼくと女以外誰もいない。
「ねぇ、ホテルいこ!」
「え?」
道でも訊かれるのかと思っていたが、立ちんぼ特有の陰鬱な派手さも見られないきれいな女性から、しかも真昼間からそんな言葉を投げかけられるとは思わず笑ってしまった。
「ホテルいこうよ!」
「うーん、でも今から映画行くところだから」
そう答えてひとりで映画を観に行く、ちょっとめずらしい日常の1コマ、そんな感じになるだろうと思った。
「じゃあ、あたしも行く!」
「冗談でしょ?」
「一緒に行くよ!何の映画?」
「この近くでやってるホラー映画だけど」
「えー、ホラー映画……怖いのだめだよ、あたし」
「じゃあ、やめとく?」
「観に行くよ」
歩きながらそんな束の間のやり取りをすると、その女はいきなりぼくの手を握ってきた。会って約1分で手をつないでいた。ありえない関係だ、言動からするとこの女はラリってるのかもしれないぞ、と警戒しつつも、彼女のあまりに大胆かつ後ろ暗いところのない様子を見て楽しくなったのも事実だった。
ユーロスペース到着。『猫目小僧』のポスターを見てひるみつつも、「猫ひろし来場」(別の日だったが)の告知を見て楽しそうにはしゃぐ女。
「映画よく観るの?」
「観るよ」
「映画オタク?」
「まあそんな感じかな」
「あたしの妹も映画オタクだよ」
「そうなの?」
「うん、渋谷とか有楽町とかにいつも観に行くもん」
「へぇー」
かなりホラーを怖がっていたので悪いと思って2人分のチケットを買った。彼女は自分でお金を出そうとしていたので、別に金目的とかじゃなかったんだなというのは分かってわずかな警戒心もなくなった。しかし、話しているとふつうの状態じゃないのもなんとなくうかがえた。
「友だちにでもすっぽかされたの?」
「そう、ドタキャン」
「それで声かけてたの?」
「……うん」
「ラブホテル街で?」
「別にラブホ街っていうのは関係ないよ」
「そっか」
映画が始まるまでの15分ぐらいそんな感じの会話を交わした。手を握られたままで。
「妹と付き合ってあげてよ」
「いきなりだね」
「映画オタク同士、ぴったりだよ」
「妹いくつ?」
「25」
「一緒だ。君は?」
「ちょっと年上」
「若いね」
「声だけでしょ」
「声もそうだけど、見た感じも」
(実際、自然な若さだったし、遊んでるふうでもなかった)
これは……映画が終わった後そのままホテルへ、という展開になりそうだと考えると妄想的な欲情に溺れ、映画への集中力を失いそうになってしまった。予告編が流れる直前、彼女が「お手洗い行ってくるね」と席を外したので、このまま戻って来ない可能性もあるという落胆と、むしろ帰ってこないでくれ、その方が映画に集中できるという願いとの間で揺れた。5分ぐらいして彼女は戻ってきた。
予告編の後『猫目小僧』の仰々しいオープニングが始まり、恐怖に耐えられなくなった彼女は眼と耳を必死に塞いでいるようだった。可哀想なことをしたなと思ったけど、やはり井口昇の映画。美少女がウンコのような肉玉を口に突っ込まれて苦悶する表情、口のアップが延々と出てくるようになる中盤以降、映画館の2〜3割の席を占める観客たちから笑いも漏れるような雰囲気になってきた。しかし、ちょうど映画が半分ぐらいのところで、隣の女はそわそわし始め、その2、3分後には席を立ってしまった。たぶん戻って来ないだろうなという余韻を残す立ち去り方だった。実際、そうだった。
映画に不快感を覚えたのか、それとも何らかの要因によって興奮状態でぼくに付いてきたが冷静になったのか……理由は分からないけど、そんな鮮烈な出会いはわずか1時間足らずでピリオドを迎えたのだった。それはそれで良かったと思う。おかげで後半からは映画に集中できたし、『猫目小僧』も十分に堪能できる面白さだった。映画館の外に彼女の姿を期待しなかったわけではないが、そんなうまい話があっていいはずがない。出会いはもたらされるのではなく、自分で掴み取らねばならない。そう思って、映画の後、数週間前に果たせなかったテレクラに籠もっているのだった。