紅薔薇座レズビアンショー

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前回に続いてDX歌舞伎町にて紅薔薇座の公演に足を運んできた。今回は映像学校時代のクラスメイトの女性2人と一緒に行った。2人ともストリップ自体初体験ということに加え、特別興行のレズビアンショー、ということで反応が楽しみだったわけだけど……
まずは時間の都合もあって紅薔薇座名物ハーレムベッドショーから観た。まだ18時を回った頃だったので客層は年配の男性ばかりというストリップ劇場ならではの暑苦しさが充満していた。すでにレディースデイを終えていたためか、この日は女性はぼくと一緒に行った2人だけ。さすが好奇心旺盛な2人なので、まったく物怖じせずにショーと客のかぶりつき具合を楽しんでいた。後半のショーになるとぞろぞろと年配層が帰って行ったので、舞台間近の特等席に3人並んで座ることができた。
個人的には、前回に比べると、浅葱アゲハのアクロバティック自吊りショー、夜羽エマの調教ショー、ゆの&京のレズショーほどの強烈さがない分、少しもの足りないという印象だったけど、20、21歳の新人3人の初々しい舞台は楽しめたし、レッドテイルのニシキヘビを交えた3Pは美しかったし、早乙女宏美の「葛の葉」はさすがだった。衝撃的ではないにせよ、観に行って良かったと思う内容である。
しかし、女性2人と行ったことである種の化学反応が生じ、おかげでショーの内容に収まり切らない楽しさを味わうことができた。紅薔薇座のあづさ圭さんは、舞台準備などをしている幕間において舞台上でちょっとした雑談などをしてくれるのだけど、ストリップ劇場という場の空気、客層などによってはハプニング的なことも起こりうる。もちろん、この日はあづさ圭さんが男ばかりの中で目立つ女性客に絡まないはずがなく、いろいろと話しかけられたり、感想を求められたりしたのだけど、それに応じるのも物怖じしない女性だったから、思わぬ展開へと転がってゆく。
この日は通常のストリップでは当たり前だけど、特別興行では必ずしもあるとは限らない、踊り子さんのポラロイド撮影コーナーが用意されていた。いや、その前には踊り子さんからのパンティープレゼントコーナーもあって、踊り子さんと客席の希望者がじゃんけんして、最後まで勝ち残った人がパンティを貰えるという内容。あづさ圭さんの煽りもあって、おじさんたちに混じってその彼女も立候補。その勝負には無事負けたわけだけど(勝ったら頭からパンティを被らされてしまう)、超美形ストリッパー葵黄蓮のポラロイドは撮らせてもらうことになった。女性からするとポーズ要求は難しい問題かもしれない。だいたいはアソコと顔が写るポーズを好みで要求するわけだけど、女性の場合はどうなのか? 彼女がポールを使ったポーズを要求すると、あづさ圭さんが「女性のお客さんはポールを使ったポーズを要求することが多い」と言っていた。また、銭湯などで同性の性器をよく目にする男性とは違って、女性は他人の性器をまじまじと見る機会があまりないから、初めてストリップを観たらアソコの形の多様性に驚くことが多いと言っていた。ぼくの知人も後でストリップの感想を話していた時に、個性的な性器の形を前にして「両性具有かと思った」というぐらいに、どうやら同性の性器そのものへの意識はナイーブらしい。男だと形やら大きさやら膨張率やらで猥談に華が咲くぐらい過剰な意識があるものだ。ストリップのポラロイドに際して面白い性差が観察できるというわけである。もうひとりの女性もポラロイドを撮ることになり、なんと踊り子さんと一緒に写ることになった。舞台に上がり、乳房を曝け出したあづさ圭さんと大股開きの葵黄蓮さんに挟まれた彼女をぼくがポラロイドカメラで撮影。なんとも羨ましい記念写真になった。
そういえば性器への意識ということについて、この前読んだ『不思議の国のペニス』には仮性包茎談義があったけど、思春期にはあれほどに過剰だった「剥ける/剥けない」ということへの意識がいつの間にかなくなっていることをしみじみと思ったりした。この小説の「ノーハンドか否か」という部分には笑ってしまった。
話を戻そう。紅薔薇座ではかつてお客さんだった女性がやがて舞台に立っているということがあるそうだ。今回の出演者もそうだったらしい。そしてMIX公演ということ。さすがにMIXといっても大部分が通常のストリップ客層、つまり年配の男性が客席を占めるわけだが、その中にちらほらと女性を見かけることもあった。そういう場合、ストリップ劇場独特な良くも悪くも湿った空気が変質する。ストリップという場では、客席と舞台はあまりに近く、また公演内容によっては両者はほとんど渾然一体となる場合もある。通常のストリップにおいても、盆の間近で踊り子さんの局部や表情などを見つめていたら、反対側で同じようにそうしていたおじさんと視線があってしまうということもあるし、見る/見られるの関係が曖昧になる。小屋の種類にもよるかもしれないけど、今回知人が言っていて初めて意識してしまったけど、DX歌舞伎町の場合、幕間で電気がついてぱっと明るくなると他人同士が狭い空間で放置される形となり、少々気まずい空気が流れる。紅薔薇座公演の場合、あずさ圭さんが間をつないでくれるのであまりそれを感じさせないけど、あのような空気はあまり日常で体験することがない。
あづさ圭さんの話にストリップの歴史に関するものがあって、過激になったり様々な風俗産業が流行ったりして紆余曲折を経て、昔返りのショーとしてのストリップが少し流行りつつあると言っていた。ぼくは全体の流れを把握してるわけじゃないし、その辺の状況を詳しくは知らないけど、ここ数年でたまたまSMショーなどの特別興行や紅薔薇座公演などを観る機会があり、それらは多くの場合、目から鱗の体験であり、こんなに面白いものが埋もれていたのかと熱狂してしまった。だからストリップを過去のものとは思わないし、これからも面白そうなものはなるべくアンテナを張り巡らせて観に行くつもりだ。