消化

勝新太郎映画祭から洩れた勝新映画をひとつひとつ消化しようと奮闘中。つい先ほど『座頭市 牢破り』を見る。山本薩夫監督。勝プロダクション第一作。それもあってか、あるいはビデオということが影響したのか何となく雰囲気が違う。
前半において座頭市が仁義の道をわきまえた親分に感服するというくだりや、『座頭市 喧嘩太鼓』みたいに客人として斬ってはいけない人物を斬ってしまうというくだりが、積極的に攻撃する座頭市像を生じさせている。確かに「業」の物語ではあるのだが、市自身があまり苦悩しないのでそれほど感情的な揺さぶりは起こらない。どちらかというと、安田公義*1が監督するような神出鬼没の超人=座頭市といった風情が強い。
もうひとつ留意すべき点として、刀を持たないひとりの浪人の存在がある。彼は百姓らに労働によって生きるすべを教え、争いや博打を避ける道を説いている。市とこの浪人はお互いに違う方法によって弱者が生きるすべを見出しているわけだが、映画のラストで分かるように、それぞれが異なる者でありながら同じ者であるような面白い関係として描かれている。その間に存在して、最初は仁義の見本だったのに結局権力の犬と成り下がってしまった親分は、無惨にも座頭市に首をはねられる最期を遂げたのだった。最強は共に弱者のうちに存在するという逆説。

*1:最近気づいたことなのだが、安田公義は『大魔神』の監督である。誰かがその点を指摘して、「大魔神座頭市説」を唱えていたようないなかったような…