魅惑の視線を持つ女

昨夜のレイトショーで新作映画『コール』を観た。ずいぶんおかしな映画だったのだが、ぼくはとにかくコートニー・ラヴにやられた。ストレートな美人とは言い難い彼女は38歳の肢体をセクシーにくねらせ、魅惑の視線を投げかけてくるのだった。その誘惑はヒロインのシャーリズ・セロンよりも、天才子役ダコタ・ファニングよりも強く、この映画の個人的体験を大きく揺るがした。どちらかというと黒人の顔立ちに近く、娼婦の役が似合いそうなコートニー・ラヴだが、最近のアメリカ映画では『8Mile』の時のブリタニー・マーフィに継ぐ愛すべき女優である。あのより目がちな独特なまなざしが良い。しかし、何といっても最高なのが、医者役のスチュアート・タウンゼントに筋弛緩剤を打ち込まれ、意識を残して身体機能をすべて硬直させられる場面である。不謹慎とは思いつつも、だらしなく開いた口に似つかわしくない魅惑の視線を空中に泳がせる彼女にサディスティックな欲望をかき立てられるのだ。あんな場面*1を撮るなんて監督はかなりのマニアに違いない!
そういった最高の場面があったので、『コール』がどんな映画だったかなどぼくは気にならなくなってしまいかけたが、いや、この映画はなかなかすごかった。小手先のギミックで味付けした誘拐モノというとそれまでだが、物語展開、撮影共にかなり穿ったやり方をしている。
家族3人を犯人3人がバラバラに誘拐、あるいは監禁されるということ。一連の誘拐は24時間以内に行われるといこと。そして映画の題名にもなっているが、家族それぞれの命は犯人らが連携する30分ごとの電話=コールにかかっているということ。物語の穿った要素はおよそそんな感じだ。あともうひとつ付け加えるとすれば、映画の結末の暗さだろう。いや、暗いというよりも、オチや後日談が付け加えられることなく、ただ物語のその時点をカメラがなめるカットで終わるのだから、後味の悪さは保証できる。
撮影にしても、冒頭から結末までかなり乱暴な手ブレ画面が連なっている。しかも、寄りのカットが多いので事態を把握するのが難しい場合が多い*2。けれども、そうかと思えば唐突にきっちりした固定画面が挿入されることもあり、その意図もよく分からなかった。
映画は大部分を室内劇として描いているのだが、ラスト間近では自家飛行機によるアクロバット、カーチェイス、あるいは大規模な衝突などの大きなアクションが用意されている。そしてとにかく暗い。なぜ暗いのだろうかと考えると、音楽の暗さ、人物や会話の暗さ、もうひとつ、「周囲の不在」が挙げられる。どういうことか?
さらに考えてみると、この映画では端役がある程度登場するにもかかわらず、すぐに出場/退去を命じられたかのように、不自然な登場の仕方/引っ込みの仕方をするのだ。だから「あれっ?あの人はどうしたんだ?」と、ふと思うことが何度かあった。家族3人と犯人3人以外は風景であることが強制されている*3かのように、出場/退去を行い、あるいはメインの登場人物がやっているのとは関係ない世界で生きているみたいに疎外されている。例えば、ケヴィン・ベーコンが演じる犯人*4がある女性を唐突に殴りつけて車を奪うシーンがあるのだが、あまりに素早いカットとカメラの手ブレによって、その女性の顔を認識することはできない。後からその女性が出てくる時も画面の外からの声としてしか現れないという徹底ぶりだ。それに、最期の大激突シーンの際も、主人公たちをよそに、その場にいる他の出演者たちはまるで何かのイベントから帰るかのように脱力してぞろぞろと歩いており、またその様子も、主人公たちがアップで撮られるのに対して、俯瞰やロングやなめでしか撮られないのだ。
監督のルイス・マンドーキは何を意図したのか?メキシコ出身というところが、何かあの忌まわしい映画『スナッフ』を連想させ、嫌な臭いを発しているように思えるが、そう結論を急ぐことでもないだろう。『ぼくの美しい人だから』『ボーン・イエスタデイ』『男が女を愛する時』『メッセージ・イン・ア・ボトル』『エンジェル・アイズ』などを撮った監督らしいのだが、まったく注目して来なかったので、いつか系列的な見直しを試みなければならないだろう。

*1:その場面を思い出していると、なぜか『青の炎』における山本寛斎の死に様を思い出してしまった。電気ショックによって殺されるあの名場面のために、山本寛斎は血のにじむような練習をしたらしい。蜷川幸雄が監督した『青の炎』の魅力はその場面しかなかったというのは残念なことだったが…。

*2:これはハリウッドの派手なアクション映画にありがちのことだが、ひとつ違うとすればステディカムを用いていないと思われるぐらい手ブレが激しいことだろう。その感覚は「ドグマ」による映像から受ける印象に近い。

*3:「強制されている」という表現をするのは、とても不自然に感じるからだ。

*4:サディストでありながらもシャーリズ・セロンにペニスを斬りつけられるという皮肉な境遇に遭ってしまう。それにしても老けない俳優である。