そう…あれは忌まわしさだ

ちょっと書き足しておこう。『コール』における殺されたと臭わされる犯人夫婦の子供*1、顔の描かれることのない女性、立ち往生する車たち、生々しい事故現場…あれらは忌まわしさに他ならない。
なぜそんなことを考えるのかというと、映画の前の予告編である新作を紹介していたことに起因する。その映画はハル・ベリーペネロペ・クルスが共演する『ゴシカ』というホラー映画で、これがまた忌まわしい映画なのだ。明らかに昨今の和製ホラーの影響下にあると思われる演出が予告編を観る限り施されていた。その忌まわしさとは、黒沢清高橋洋中田秀夫清水崇小中千昭らの実践してきた「ファンダメンタル・ホラー」が描くものである。『ゴシカ』はその点かなり期待できる。
『コール』はホラー映画ではないが、誘拐劇というだいたいの場合において痛快さやドンデン返しを伴いがちなものを描く意欲よりも、明らかに忌まわしさを描こうとする意欲のほうが明確だったと思える。そういう傾向は、この映画に特有のものなのか、それともアメリカ映画を覆っていこうとするものなのか。通常の娯楽映画系列に忌まわしさが混入されるというアプローチならば、森崎東との比較で考えてみると面白そうだ。その辺を見極め、どのように評価するかによって、ぼくの当面のアプローチも変わってくるだろう。

*1:さきほどは言及しなかったが、犯人の真の犯行動機として物語後半に浮上してくる。しかし、その真相が突き詰められることはないし、感情が回復されることもない。