遅蒔きながら

波状言論01号」を読んだ。面白い。これから、こういった試みが増えてくると本当に、仲俣暁生さんも書いているように、読書の媒体がメーリングリストテキストサイト中心になってしまう…というかすでになっている。「波状言論」の読者の多くは『ファウスト』や『新現実』や「はてな」やアキハバラやギャルゲーetcを横断しているので、そこら辺の雑誌よりも「波状言論」の方が豪華に思えるに違いない。
連載の内容にしても、特に「西尾維新インタビュー」はなかなか知ることの出来ない核心にも触れていて、小説の読者にとってはたまらないと思う。東さんが冒頭でやっているコラムでは映画『アイデンティティ』に触れていて、ギャルゲーなどに特有の「ゲーム的リアリズム」と絡めているのだけれど、こういった視点からの考察は映画批評にあまり見られるものではないので、ぼくにとってはとても楽しめるものだ。もちろん「波状言論」に加入しているような東読者ならば、すでに馴染みの視点だと思われるけど、純粋に映画というジャンルに執着している人たちにとってはあまり馴染みのないものだろう。
ぼく自身は、映画学校や純映画的な興味しか持たない人たちの中にいた時、以前はかなり立場のあり方に揺れていた。例えば、大学に荒井晴彦中原昌也柳下毅一郎や上野昂志らがシンポジウムに来ていた際、映画批評についての話題になり、(バカな)司会者が荒井晴彦宮台真司みたいなのが映画批評をやっていますが…と否定的なニュアンスで媚を売っていたのを思い出す。ぼくは宮台読者としては熱烈な方だと自認するけど、自分の立場からあえて映画批評をする宮台真司の映画批評は、映画を作っていく上で示唆の多いものであり、かつて『鬼が来た!』などに絡めて日本の映画(批評)の凋落を指摘していた宮台真司はよっぽど自覚的なのだと思う。
一方、ぼくが通っていた映画学校においては純映画志向が強くて、実際は写真をやりたい人たちが大半だったのだけれど、映画志向の人たちはだいたい純粋にジャンル内在的なあり方を志向していて、講師もそういったアプローチをしていたと思う。あの時は『マスターズ・オブ・ライト』を読んで、いろいろな映画のライティングを再現するのに何時間もかけていたりしていたものだ。それはそれで楽しかったが…。
だけど、純映画志向、あるいはジャンル内在的なあり方を強制され、ぼく自身もそういう志向ばかりをもつあまり、技法や(映画というのはそういうもんなんだよ!という)慣習には明るくなったのだが、実作においてはかなり貧しくなったのではないかと思う。つまり、実作や発表の機会が技術収得のレベルを表すものに過ぎなくなっていて、そこでオリジナルなもの*1が目指されていなかったということだ。
これは専門学校が乱立する現在、多くの場においても共通することだと思うが、特に映画などの専門学校の場合、技術訓練をしても映画界がそれを受け入れるシステムになっていないため、ほとんど役立たないと思われるのだ。当時は、ぼくも純映画志向を極めることこそ大切だと思っていたけど、今はそれよりも他ジャンルや他ジャンルの感性に敏感であることの方がぼくには重要に感じる。それは、先ほどの宮台真司の映画批評や東浩紀の映画批評に含まれるものである。
東さんがやっているのは、映画というジャンルにも現代の哲学的な問題が、ライトノベルやギャルゲー同様に見られるというものだが、ぼくは逆に制作する側の方法論として、そういった感性を育むことも大事だと思う。『アイデンティティ』の監督ジェイムズ・マンゴールドがその点に自覚的だったか分からないが、ぼくは、押井守のように方法論に自覚的*2であることは必要だと思う。
まあ、ひとりでああだこうだ書いていても始まらないので、そのうち自分が歩む方向で生かしていきたいと思うのだが、とにかく「波状言論」は東さんが前から目指してきたことがある程度実現しているように思う。すなわち、「棲み分け」の問題だ。言葉を広く届かせること。良い意味での誤配が生まれているのではないか…と。ぼく自身に限っていえば、いろいろなリンクを介してアンテナは日々増えていくばかりだし、メーリングリストの登録数も減ることはない。それに伴ってフォローすべき人たちの新刊本も出てくるわけだから、あれもこれも読まなきゃいけないと、正直ついていくのが精一杯で、睡眠時間は減るばかりだ。
これからは『「捨てる!」技術』ではないが、何か対策を講じなければぼくの生活ならびに人生がめちゃくちゃになってしまうだろう…気をつけよう。

*1:ここで言っているのは、どこまで再現できるかという技術収得段階を示すものとしてではなくて、何か作ろうという意欲に基づいて作られたものという意味。

*2:押井守のツレヅレ鑑賞日記。」か何かで読んだことがあるが、若い頃にアニメを作っていた時は、彼の師に絵コンテの意図をすべて説明しなければならなかったらしい。そういえば、今月の「ツレヅレ鑑賞日記。」にも、「映画はロジックでつくるものだ」という言葉があった。