宗教的思考と教養

前に買っていたアレクサンドル・ボグダーノフの『信仰と科学』を読む。実は「本邦初訳」と帯にも書いていて、意外な感じがしたのだが、この本の内容はというと表題作と付録から成っていて、表題作は完全にレーニンの『唯物論と経験批判論』への反駁となっている。そして、冷静に読む限りはボグダーノフの論考の方がまっとうで軍配が上がっているように思える。歴史的には決着のついた戦いであるが、周知の通り政治上ではレーニンに軍配が上がっているのだ。
中沢新一の『はじまりのレーニン』でもこの2人の対立はちょっと触れられていたが、ボグダーノフは経験一元論者としてレーニン唯物論の矛盾を具体的に、的確に指摘しているようだ。そして、レーニンはというと感情的で論争的で、ボグダーノフに言わせると、事実を歪曲するという手法によって論敵を無理矢理ねじ伏せようとしているのだ。ぼくはレーニンの具体的な矛盾や誤謬を指摘できるほどに、丹念に著作を読み込んでいないが、それでも経済に関する論考とはうってかわって、哲学論争におけるレーニンの文章はプレハーノフゆずりの露骨に戦闘的な内容だということは知っている。俗に言うアジった文章だ。
ボグダーノフはそういったプレハーノフ、レーニンの手法を「宗教的思考」と断じて「滑稽かつ有害」と締めくくるのだった。上部構造としての哲学は、下部構造としての社会労働関係、生活関係とのフィードバックなしでは無益だとした「マルクス主義」を唯一絶対のイデオロギーとして「信仰」してしまうこと。すなわち「宗教的思考」である。
さらに次のような議論も展開していた。専門性/普遍性という腑分けに関して、専門性は効率化、発展のために必要であるが、それはやがて硬直化、ギルド化に転じて、効率や発展を妨げるものとなる。そして、「哲学は一元論的欲求をもつもの」で本来は専門化しえないものなのに、イデオロギーが作られ棲み分けが進むことで逆説的に専門化の罠にはまってしまう。けれども、この時点*1では、エネルギー論、ダーウィニズムマルクス主義が、専門性という棲み分けの垣根を克服しつつあると論じている。(結局は克服し得なかったのだが…。)
こういった議論を読んでぼくが古く感じなかったのは、実は未だに終わったはずの「マルクス主義」が残っているからだろう。それはさらに最近の名著、稲葉振一郎による『経済学という教養』の内容にも関わってくる。カッコ付きの「マルクス主義」はボグダーノフの「宗教的思考」と言い換えてもいい。「一元論的欲求」でもいい。それに対して、ボグダーノフが言ったのは先ほども述べたように、本来のマルクス主義に基づいた、社会労働関係、生活関係に重きを置く実践的思考だったはず*2。そして、稲葉振一郎の言った教養とは、まさに「生活態度」のレベルで重要なことだった。
詳細な考察が教えてくれるように、「貨幣的ケインジアン」の立場は、構造改革主義者に比べてすっきりしない。不景気の原因として、貨幣愛による「流動性選好」を考慮する立場では、均衡した状態に不完全雇用を組み込んでいるので、不況に対してとりあえず傷を大きくしない処置が関の山。一方、議論の上では、不良債権を処理して根本からシステムをきっちり改善する「市場原理主義」的な構造改革主義は、歯切れが良くて、悪者も作れるからカタルシスだって生まれる。
だが、根本には「宗教的思考」あるいは「思考停止」が影をちらつかせていないか。『経済学という教養』で考察されていたように、経済学の定石を考えると、バブル期にやらかした人たちというのは別に(犯罪を犯した人を除いて)逸脱していたわけではないのだ。市場のシステム通りに動いたに過ぎない。その責任を遡行して追及するのは、ある面では正しいかもしれないが、ある面で決定的に間違っている可能性を残す。
教養とはなんだろうか?
確かなのは「宗教的思考」の対極にあって、「生活態度」に深く関わる根本的なものということだ。宮台真司的に言えば「帰属処理」や「切断操作」をしないということであり、民度を向上させることだろう。ぼくたちの周りには気づけばカッコ付き「マルクス主義」のような「宗教的思考」が蔓延している…らしい。とりわけこのような時代には、逆説的に直接的な宗教ではなくても「宗教的思考」が歓迎される傾向にある。ぼく自身身近に感じることもある。(特に実家に帰った時とか。)教養を身につけるということは思ったより難しいことかもしれない。が、巷にあふれる「勘違いの分かりやすさ」に反して、教養を説く、いや、教養を培養しようとするまっとうな人たちは存在する。ぼくにできるのはアンテナをはっておくことだ。
かなり乱暴にまとめた…時間が経つに連れて『経済学という教養』『信仰と科学』の内容も薄れて…ゆく。ろくに身に付かない読書をやめて、選別したものをじっくりと読むようにせねば…とようやく自覚しはじめた。「生活態度」のレベルを改めよう。

*1:ボクダーノフが『信仰と科学』を書いた辺り。

*2:その意味では、ボグダーノフ自身も「経験一元論」という「宗教的思考」で世界の統合を志向していたので、時代の状況が違えば論争の立場も違っていたかも知れない。