ああやVS明菜?

1ヶ月遠ざかっていた間は昼の仕事に加えて、夜のバイトに追われていたためだったけど、そろそろそんな生活にも慣れて来たのでダイアリーも再開したいと思う。
手始めにP業界のここ最近の状況を。昨日からCR松浦亜弥やCR信長の野望が導入され、業界的な期待度の高いCRぱちんこ華王・美空ひばりの展示会も行われたようである。京楽の機械ということで冬ソナの派手なポラリス演出のような役物を搭載していることだろう。実際、CRぱちんこジョーズにも継承されていたし、ジョーズに関しては爆裂スペックもあって、かなりの客付きを維持している。スーパー海があまり良くないとはいえ、海シリーズの強さを除くと、しばらく京楽の強さが目立っている。そういえば、CRウィンクは9月下旬に発売されることが決まったようだ。
話題のあややはというと、馬場や池袋のホールを回った感触では、それほど盛り上がっていない感じがした。店によっては信長の野望だったり、年配層には海シリーズのパクリ系であるCRアクアポリスの方が盛り上がっていたりした。ただし、かなりの数を一挙に導入している店もあり、力を入れているところはそれなりに熱っぽかった。ちょっと前の話題機種、CR中森明菜の導入当初の盛り上がりと比べるとやや見劣りするといった感じだろうか。やはりパチンコは年配層へのアピール力がものを言うので、明らかに宇宙アイドルを目指すというCR松浦亜弥の演出はアピール不足になっている。大当たり中にあややの曲とPVの映像を堪能できるのは、ファンにとってはたまらないのかもしれないけど。先行きはまだ分からないので、所詮ビスティだから……とは言い切れないにせよ、歌モノのパチンコはモチーフの力だけに頼り過ぎていて、意外性のひとつもない。確かにパチンコでRPGというパチクエの挑戦がそれほど功を奏していない事実を考慮すると、意外性にかけるコストよりもモチーフのアピール力に頼る方が無難なのだろう。
パチスロは北斗SEがやはりダメっぷりを晒し、沖縄チェリーやシンゾウくんなどのバージョン違いが登場する中、4号機の残りもトゥームレイダージャイアントパルサーぐらいしか残っていない。6でも勝てないスペックの辛さだけでなく、やはりどこか違うんじゃないかと思わせられる台ばかりがわずかな期待と共に登場してはすぐに客を飛ばしてしまう。検討している秘宝伝に関しても店によってかなりの差があり、以前の北斗のように導入すれば客が付くというわけにはいかない。正直、もう規制が何らかの形で緩和されるまでスロットをまともに打つ気にはなれない。最近、俺の空はなかなか面白いなと思えるようになったけど、高設定をつかんでも勝てない。4.7号機以降の高設定に挑むならやはり朝一から稼働で勝負しなくてはいけないのだが、今はそんな時間もないので……

女の女による女芝居

  • 女のみち(劇団:ポツドール、脚本/演出:溝口真希子)

新宿TOPSにて。先月末に予約した時点で今日のチケットしかなかったので仕方なく仕事を休んだけど、その甲斐は十分すぎるほどにあった。
まだ腰を据えて更新できそうにない。木曜以降になりそう。……といいつつ、未だに腰を据えて書く時間がない。

邪教あるいは集合的記憶VS母神あるいは胎内回帰

近所のシネコンにて。駄作とは言わないが、原作ゲームファンとしてはこれといって驚くべき点もなく、消化不良。ゲームの音楽をいくつか用いていたり、荒廃した街サイレントヒルの臨場感はそれなりに味わえる。物語的には原作の翻案が強く押し出されていて、特に夫婦の関係を導入しつつ、結末をあのような形にしたというのは、アメリカの現実を反映しているのだろうか。
『リング』について、高橋洋が母子という設定に置き換えたのは、子供を守り戦う女性を描いた方が「強い」と考えたからだし、恐怖する男より恐怖する女の顔の方が怖いだろう。そのパターンで、母と娘の関係を主軸にするのは当然かもしれないのだが、そこに存在感の薄いショーン・ビーン演じる夫が中途半端に介在してくるというのはよく分からない。結末を観れば、それを描きたかったのかと思うような終わり方をしているのだが、やっぱりフィクションに閉ざすという作りにはしたくなかったんだろう。現実を反映させるにしても、偉大なホラー映画『回転』のように、もっと怖い終わり方をすれば良かったのに……と思う。
それほど必要性を感じられないのに過激でグロい描写をするというのも、ちょっと興ざめだった。明らかにCGだなという、あまりに鮮やかすぎる処理をしているからというのもある。せっかくサイレントヒルの荒廃した闇というモチーフがあるのだから、気合いを入れた生々しく不気味な地獄絵図に挑戦して欲しかった。あと、やけに上下に滑らかに動き過ぎるカメラワーク、それほど必然性のない短いカット割が邪魔だった。もっと落ち着けよ、と思わず口に出しそうになった。好みの問題でもあるかもしれない。

神がかり的な偏執

新文芸座にて。ジェリー藤尾2本立て。
ハードボイルド映画の傑作とはいえ、ぼくにとっては退屈極まりなかった『拳銃は俺のパスポート』。『殺しの烙印』のような映画ならば心底楽しめるのだが、まったく隙のない真剣なこのハードボイルド映画は、冒頭で依頼された狙撃を成し遂げた後、ずっと痛快さのかけらもない禁欲的な逃亡劇へと移り、それはそれで興味深くはあったけど、ぼくは楽しむことができなかった。しかし、ラスト。ある意味純朴な弟分のジェリー藤尾を逃がすために、自分が犠牲となり、ひとりだけで敵の手中に飛び込む決意をした宍戸錠。このラストの対決があまりにも素晴らしくて、それまでが楽しめなかったということなど一気に吹き飛んだ。冗長さのかけらもないシンプルな対決。一瞬の勝負。正面から迫り来る車に対峙し、放たれる銃弾を浴びながらも銃を構えた姿勢を維持する宍戸錠。そして、まさに一瞬。宍戸錠の動きとカット割が素晴らしい。これを観られただけで、この映画を傑作と言い切っていいと思った。
『拳銃は俺のパスポート』で本当に足手まといな奴だなと思わせられたジェリー藤尾。その後に『偽大学生』とは……。この組み合わせは最高である。誰もがジェリー藤尾をすごいと思うんじゃないか。ぼくはテレビのジェリー藤尾という存在を全く知らないけど、鹿島茂の記述と『拳銃は俺のパスポート』を観て、そのオーバーアクションが鼻につく感じというのがなんとなくうかがえた。だからこそ、『偽大学生』という映画の絶妙なキャスティング、ジェリー藤尾しかいないという感覚も分かる気がした。
「東都大学」の受験に失敗し続けているジェリー藤尾。合格発表の掲示板を見て落胆するシーンから映画は始まる。抑制していも過剰なその表情が、何か尋常じゃないものをはらんでいることを予感させる。そしてその通りになる。事前に鹿島茂の『甦る 昭和脇役名画館』であらすじを知っていたため、もしかしたら退屈になるかもしれないと多少は危惧していたのだが、ふたを開けてみるとジェリー藤尾の一挙手一投足に終始釘付けになってしまった。偽学生の芝居がやがて本物になるということ、精神病患者の烙印が現実化すること、それが東都大学の者たち全体にも感染すること。そんな物語的な次元とシンクロして、ジェリー藤尾という存在の過剰さも反転する。中心が空っぽになる。あれほど過剰で鼻につく存在が、周囲を反映する鏡となり、ジェリー藤尾は分裂するのだ。そのつくられたかのような表情は不気味である。一方で終始違和感だけを発し続ける若尾文子がすごい。一応は状況に加担しつつも、違和感を発し続けることで一貫性を保っていた若尾文子の方が、精神病院を仮退院したジェリー藤尾の周囲の度肝を抜く演説によって覆されてしまうのだった。
加えて、増村映画のカットの切り替わりの効果もある。なぜか増村保造のさりげないカットの切り替えには息を呑まされる。若尾文子の部屋に藤巻潤が訪れ、肉体を浴する藤巻との距離を保ちながらそっぽを向く若尾文子。そんな時にカットが切り替わり、はっとさせられる。2人には決定的な差がある、同時にこの後に何かが起こる、そんな予感を抱かされる。あるいは、前述のジェリー藤尾の演説場面で、先に若尾文子が心底疲れた感じで「もうやめましょうよ」と演説をするのだが、その時、ジェリー藤尾に噛み付かれたはずの手の傷がなくなっていることが分かる。その時の手のアップに切り替わる場面にもはっとさせられる。そして、その後にジェリー藤尾による反転が実現するのだった。もちろん、傑作である。

遅すぎたヘア&アナル解禁

tido2006-07-06

東スポや週刊誌などによると、ビデ倫のヘア&アナル解禁は8月の審査から始まるようだ。今更な感じではある。それだけ売り上げが厳しい状況なのだ。ビデ倫の審査を受けているのはAV全体の2割程度だというし、一般的なユーザーからすると、セルビデオなんかでヘアやアナルなど見慣れているだろう。
それにしてもビデ倫のHPはしょぼすぎる。このニュースさえ掲載してないし、更新頻度も低いようだ。アクセス数の少なさが悲しい……。顔ぶれも信用できない。
http://www.viderin.jp/

札付きの鉄砲玉

tido2006-07-05

もちろん新文芸座にて。渡瀬恒彦特集。
『鉄砲玉の美学』を初体験。想像していた痛快さとは無縁だが、脚本と共に低予算のロケという状況が渡瀬恒彦の魅力を溢れさせる。スクリーンで観る渡瀬恒彦は良い意味で余す所のない存在に感じられる。勝新や若富のような過剰な身体性だったり、天知茂のような拭えない翳りだったり、高倉健鶴田浩二の禁欲的な含蓄だったり、川谷拓三や室田日出男のような脇役ならではのほとばしる強い個性だったり……そのようなものは感じられず、ただ渡瀬恒彦という人間がありのままにそこに生きているように感じられる。それが底の浅さにならず、その姿に心を奪われてしまうのは「ありのまま」が魅力的だからに他ならない。もう少し詳しく説明すると、確かに喧嘩がめちゃくちゃ強かったりとか、実生活の話もまるで映画の中の渡瀬恒彦といった感じはするけど、「ありのまま」というのは正しくないだろう。そんなふうに見えてしまうというのが重要なのだ。
何でそんなふうに見えるのだろうかと考えると、渡瀬恒彦はいつも迷わないからだと思う。劇中人物の性格ということではない。楽しみ、笑い、怒り、暴れ、泣く……そういった広い意味でのアクションにおいて渡瀬恒彦はいかなる溜めも介在させない。要するに無媒介的なのだ。ゆえに、ありのままなのだ。
『鉄砲玉の美学』では、金がなくて目先のちょっと先(目先でないところが絶妙)しか考えられず、どうしようもない状況から抜け出せない姿、100万円を手に入れた後の享楽的な姿、苛つきも楽しさもその身体、表情、言葉に刻み込まれていて、芝居しているというよりありのままに滲み出ているといった感じだ。ウサギに大量の餌を与える女に本気で怒るところや美しい女と霧島を見て鉄砲玉としての役割も忘れ、霧島に行くことばかりにとらわれるところなど、あらゆる渡瀬恒彦が素晴らしかった。刑事の銃弾を受けて血を流しながら街を疾走する渡瀬恒彦寺山修司の『書を捨てよ 町へ出よう』にあったような激しいブレのカメラワーク。さらに頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」がバックで流れ、涙なしには観られない。
『暴走パニック 大激突』は何度も観た。数年前、有楽町の国際フォーラムのイベントで、深作欣二特集があった時に、毎回異なるゲストがお気に入りの深作映画をピックアップして、上映後にトークショーというものがあった。その中のある1日、ゲストは黒沢清、上映は『暴走パニック 大激突』だった。ちょうど『回路』が公開前で、ラストの船(『暴走パニック〜』はボート)で逃げるところを指して、黒沢清が「ぼくの次の映画も同じことをやってるんですよ」と言っていたのを思い出す。裏話もいろいろと出て楽しかった。それ以後、深夜テレビやビデオで何度もこの映画を観ては活力を与えてもらった。
この映画の渡瀬恒彦はありのままをひたすらアクションで見せてくれる。ぼくが特に印象深いのは、杉本美樹がつくっていた豆の煮込みを食う姿(スプーンを突き刺すかのようだ)や身を潜めるためにやっているバーテンの姿である。さりげなくも「らしさ」が宿る芝居なのだ。
この映画では渡瀬恒彦以外のキャラクターがあまりにも過剰で、息もつかせない展開で誰もが暴走してゆくので、渡瀬自身の振幅はあまり見られない。しかし、鬼気迫る室田日出男との争いや惚れ込み具合を突発的行動で示す杉本美樹との関係によって、反射的に渡瀬恒彦をうかがい知れるので、いつの間にか感情移入してしまう。あまりの暴走っぷりがバカらしくて場内が笑いに包まれる映画なのに、引いて楽しむというよりかはやっぱり映画に取り込まれてしまう。それも渡瀬的な魅力に他ならない。『暴走パニック 大激突』は渡瀬的な無媒介性がそれ自体に拡散したかのような映画であるからだ。
この日記を書きながら、ふと『ジーンズブルース』のことを思い出した。これも中島貞夫×渡瀬恒彦の傑作だった。ぼくが観たのは同じ新文芸座だが、梶芽衣子オールナイト(http://d.hatena.ne.jp/tido/20040327)でのことだった。もう2年以上経っているんだな……。あの時は梶芽衣子のことばかり考えながら観ていたけど、次々と傷を負いながらやがて死んでしまう渡瀬恒彦も印象深かった。再び観なければと思う。